精神年齢9歳講師のブログ

校舎での出来事、読んだ本、つまりインプットを全てアウトプットに変える実験場、的な。

【同業者向け】「なぜ?」という問いと、「ではどうする?」という問いの、微妙な差異を使いこなせ!

何故かここ2日、主にメンタル面がVeryBadで困っている中元です。死にたいとかじゃなく、なんか集中力に欠ける感じでおます。

 

はい。本当にふと気づいたことなのだが、何か困ったことがあった場合、まずはその原因を深掘りするクセが、僕にはあるらしい。

 

生徒の落ち着きのなさが気になる。"なぜ"、そんな言動をしてしまうのか。もしかして、ADHD的な特性があるのだろうか?

 

という風に。基本、原因となるものを解きほぐしていけば、そこに解決策のヒントがあると考えていたので、この思考の罠に気付くことが無いまま来てしまった。

 

しかしここ最近、この思考法では太刀打ちできない問題が出てくるようになり、このやり方の絶対性が揺らいでいる。

 

だから今は新たに、意識して「ではどうする?」という問いを使うようにしている。そして、こっちの方が機能することも、どうやら割と多そうなのだ。

 

「なぜ?」という問いと、「ではどうする?」という問い。これら2つの違いは何か?一体どう使い分ければいいのか?

 

僕なりの気づきを、以下頑張って言葉にしてみたいと思う。

 

 

「なぜ?」の罠。

 

「なぜ?」という問いかけは、思考が強制的にでも前に進む魔法の言葉のように思う。実際僕も、そう信じていたからこそ、今までこれに依存していたわけで。

 

だが、それもまた場合によりけりで、実際は前に進んでいるのではなく、問題の本質からどんどん遠ざかっているのをそう錯覚していることも多いと気が付いた。

 

考え事がどんどん繋がっていく意味では同じプロセスだからタチが悪い。ちょっと一例を紹介しよう。

 

ある生徒が、テストに集中できない、じっと座っていられないなど、少し問題になりそうな行動を示しているとする。このままでは他の生徒に迷惑がかかる。

 

「なぜ」こんな行動を取るのだろうか。そこで、Googleの検索欄に「集中できない じっと座れない なぜ」と打ち込んでみる。

 

するとすぐ、ADHDという言葉がヒットする。その子がじっとできない理由はここにあるのではと、また新たな仮説が出てくる。

www.mukainada-mc.jp

 

だから今度は、ADHDについての学びを深めるような思考に入る。症状は?歴史は?実例は?言葉の定義としては?判断基準は?などなど。

 

こうしていくと、あっという間にノート1ページくらいはパンパンの情報量を集めることになるだろう。確かに、色んなことがわかったという満足度は高い。

 

―だが、こうしている間に、ある大事な前提が綺麗に抜けていることにお気づきだろうか。

 

それはそもそも、「問題になりそうな行動に対処する方法」こそ、この時点で必要な情報であるという点だ。

 

気付けばそれをすっかり忘れて、ADHDといった症状の知識ばかりが増えている。勿論それがヒントになることも多いのだが、ヒントにならないこともまた、多い。

 

最終的に、「今のところわかっていない」といったオチにたどり着くこともしばしばだ。「なぜ?」を突き詰めた先に転がっているのは、基本的には未知である。

 

物事の根本を問い続けることには、答えが出てこなかったり、本質から遠ざかって行ったりするリスクがあることも、承知しておいた方がベターだと感じる。

 

「ではどうする?」と問われたら、思考はどうなる?

 

「なぜ?」という問いは、現状起きている問題の根っこを考え続ける思考サイクルを生む。だからこそ、本質から遠ざかるリスクがあると、先ほど述べた。

 

一方、最近意識して使っている「ではどうする?」という問いは、一体どういう違いがあるのか?

 

それは、「なぜ?」とは逆に、現状起きている問題の解決策や対処策を考える思考サイクルを生むという違いである。

 

例えるならば、風邪を引いた原因を考えるのが「なぜ?」であり、風邪を引いたからこそどんな療養をするかを考えるのが「ではどうする?」という感じである。

 

そして教育の場とは、冷静に考えれば「なぜ?」に向いていない。要因があまりにも多く、流動的に変化するうえ、一人一人原因がまるで違うからだ。

 

対人関係というか、社会的な場では、「なぜ?」を問い続けることはハイリスク。だからこそ、原因分析は後回しにして、目先の問題を解いた方が良いことが多い。

 

和気藹々を少し通り越したクラスがあるならば、原因を考える前に、そういうところを統率した事例を調べて、手段をパクった方が多分正解だ。

 

僕みたいに反芻思考と四六時中がっちり肩を組んでいるようなタイプの人は、強制的にでも「ではどうする?」と自分に問うて、話を進めた方がいいこともある。

 

一つ、参考にされてみてほしい。

 

ざっくりした使い分けまとめ。

 

ということで最後に、ざっくりとした使い分けについて述べて終わりとする。何かしらの問題が発生したとして、やはり使うべき問いは、まず「ではどうする?」だろう。

 

目先の事例を一般化して、Googleの力を使い、知識を搔き集めて、手段を決定し、実際に発射する。

 

「なぜ?」を問うのはその後だ。その手が機能したか、してないか。それぞれ、「なぜ」をぶつけて分析し、次の仮説に繋げる。

 

この方が健全だなと、とりあえず暫定的に考えている。やってみて違ったらすぐ止めるだろうけど、しばらくはこの考え方を採用してみようっと。

 

ということで、悩める教員・講師に向けて、ヒントになっていれば嬉しい。では今日はこの辺で。

 

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