精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【同業者向け】『〇〇高校の生徒がいない』はブランドになり得るか?

最近の楽しみは、お腹いっぱい食べること。カビゴンの生き方ってある意味究極体かなと思います。中元です。

 

さてさて。新規生の問い合わせが動いている一方、色んな事情で卒塾になったり、取り損ねたりって場面も、ゼロではない。

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その際『ネック』な要因として出てくるのは、金銭の話もそうだが、やはり『友達の有無』ってことが多い。

 

特に『〇〇高校の生徒がいない』といった評判は考えようによっては致命傷であり、そこのでっかい集客はまず無理だと考えて差し支えない。

 

―しかしこの状況は、これまた考えようによっては別の解釈もできるよなと。

 

実例として、『〇〇高校の生徒がいないから来たい』という問い合わせも、ちょいちょい来たことがあるのだ。

 

学校一丸全員仲良しってのは理想論なのかもしれない。少し馴染めなかった生徒たちの受け皿。そういう方に活路を見出すのはどうなのだろうか。

 

ってことで今日は、単なる思考実験の掃きだめだが、それについて書いてみる。

 

 

浮きこぼれ・落ちこぼれ。

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僕自身の原体験でもあるのだが、僕は高校の頃、同級生が通っている塾はハッキリと嫌であった。

 

こんなことを言うのも嫌なヤツなのだが、大学受験を一般受験で志すヤツは僕の学校では超少数派であり、雰囲気としてどうにも緩いのが否定できなかった。

 

だからこそ、『大学とか何で真面目に受けるん(笑)』という環境に浸りたくなかったのが大きい。

 

そういう人間にとっては、『〇〇高校の生徒が多く在籍!』という触れ込みはデメリットに作用するため、そこを選ぶ可能性は限りなく低くなる。

 

それは逆も同じで、勉強について行けない、バカがバレるという理由でそういうのを避けるケースもあるだろう。

 

集団になじめないのは、問題行動ありきというケースも否定できないが、大半は浮きこぼれたか落ちこぼれたかのどっちかである。

 

そういう人間にとっては、中間が丸ごと存在する場所は余り近付きたくない場所となる。

 

つまり、〇〇高校のシェアを丸ごと持っていかれたからと言って、その全て実はとっているわけではないと解釈することもできるという話である。

 

馴染めないってことは・・・。

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しかしやはり、そういう生徒達ばっかり搔き集めるのも違うと思う。

 

生徒数ばかり追うと、不思議なもので『入塾させて継続を取ること』が全てとなり、その生徒の人となりを吟味しないままに迎え入れることが増える。

 

悲しいかな、その生徒が悪評となり結構な数の生徒が消えた例は、僕が入社した数年間でもいくつか存在する。当然、新規問い合わせもそこで止まる。

 

浮きこぼれと落ちこぼれというのは、いわばハイリスク・ハイリターンである。例えば入塾時の面談できちんと『集団授業の適正』について話すなど、システムは大事。

 

つまりどっちつかずの結論になってしまったけど、敢えて何かの学校に特化して生徒を集めなくても、戦い方はありそうという落としどころでどうでしょう。

 

考察?

 

ということで、ある学校のシェアを強烈に食われている市場に出ていくとしたら、何を事前に考えておくべきなのか。

 

例えば、学校の進度をガン無視して予習に命を懸けますってのでも良さげだし、その他各種検定をモリモリ取るコンテンツに注力しても良いかもしれない。

 

レッドオーシャンの模倣ほど、しくじることが保障された未来はない。差別化という言葉に逃げず、同時に複数の手を用意して打つくらいがちょうどよさげである。

 

では今日はこの辺で。

 

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