生徒に問題を解く時間でマウントを取ってみたら、非常に虚しい気分になりました。ありのままでありたい。中元です。
さて。今このブログを書いている部屋から壁一つ隔てて、新人の非常勤講師が授業を行っている。
第一印象は右も左もわからない借りてきた猫状態であり、相槌の打ち方も「不慣れ」という感想を持たれるだろうなという、良くも悪くも【新人】という方である。
ーだが、まだ本当に数回目なのに、えらい授業が上手なのでびっくりしている。ただただ元気だけで突っ走り誤魔化すわけじゃなく、抑揚とかその辺がうまい。
そしてやはり思うんだけど、講師は元気が第一!と言われるが、それが全振りした人間ばかり集めても違うよね。
今日はそんなお話を短編で。
あうあわないがあるぅ!
僕自身の話をすると、とりあえず僕はネアカ全振りの人が苦手である。何とかなるという言葉を大義名分に、ごり押して先に進むタイプ。
わからんとこがあっても「何とかなるさ!」と言われると、ガンガン不信感が募ってしまう。だが、そういうのが良いという人もいる。
一方、逆に論理立てた説明が嫌いという生徒もいる。ノリと雰囲気で良いからサクサク感覚で進む方が良いというタイプのこと。
そういう生徒に筋道立てた緻密な板書計画はあまり響かないし、「なんか、ウゼー」と思われて講師変更リクが出てもおかしくない状況となる。
他にも例を挙げてみよう。
僕は異性としてギャルが死ぬほど苦手なのだが、ギャルが大好きという人間もいる。僕は男前な性格がどちらかと言えば平気なのだが、女性らしさ第一という人もいる。
・・・・そろそろ伝わっただろうか?
ぶっちゃけ人によって合う合わないがあるんだから、同じタイプの人間ばっか集めてどうすんの?
というただそれだけなのである。(ネアカな方がマッチする可能性が高いという側面は認めるけども)
ーむしろ、講師を選定する側が気をつけることって、性格の時点で合う合わないとかももちろんそうだが、その後のケアの方がウェイトが重いと思えて仕方がない。
続いては完全に持論をうだうだと書く。
その人がパフォーマンスを発揮できるようにするには?
今からの話は、もう一度言うが完全なる持論だし、僕自身が100%守れているわけでもない、ただの心がけのレベルである。
それが何かというと、その講師その講師が最大限パフォーマンスを発揮できる状況は、十把一絡げにできないというものだ。
例えば今日も、新人の先生が授業をしている最中に教室に入ってみたところ、僕の存在を意識してか明らかに声が小さくなり、言葉がたどたどしくなっていた。
それに気づいてからは、その先生が授業中はなるべく僕は顔を出さないようにしようかなと今は考えている。(慣れてほしくもあるので、ゼロにする気はないけど)
他には、声が小さいという弱点がある講師であれば、声が大きい講師と同じ時間帯にコマを組めば、それに引きずられて勝手に大きくなるってのも確認済。
一応、「極端に講師の性別が分かれる日を作らない」とか、「なるだけ多い人数を同時に回して活気よくする」といったテッパンのコマ組み指標はある。
だが、やはりすべてそれで解決するような簡単で単純な話ではない。この仕事をしていても思うが、その辺は思った以上にデリケートなのだ。
もちろんそのすべてを把握することはほぼ無理ゲーだし、素直にテンプレな理想論を取り入れた方が上手くいくこともある。
だが元来の性格があまのじゃくなため、やっぱそれがすべてだよねと独り言ちることは少し抵抗を感じてしまうという。難儀な奴でっせ。
まぁ、最後のは完全なるボヤキだから、反応とかもどうでもいいんすけどね・・。
終わりに。
最近サイコパシー性を獲得しつつある恩恵で、シミュレーションゲームをするかの如く、講師の感情を差っ引いて物事を考えられるようになってきた。
「普段はCの声量でも、大声の特性を持つ講師とくっつければ、Bにまではあがるよな・・・」といった風に、本気でゲーム気分で取り組んでいる。
それの是非はさておき、今のところ性に合っているし、うまく回っているから、御の字ではなかろうか。
では今日はこの辺で。