今一番興味があること、それはヒゲの脱毛です。男性ホルモンだけはいっちょ前、中元です。
さて。別のブログで書いたのだが、ここ2週間「瞑想」を日課にしている。
座って、呼吸にだけ集中し、3~5分過ごす。それだけ。最初の2週間はその効果を全く実感することが無かったのだが・・。
2週間経過するかしないかで、急に「意識してスルーできる」という感覚を掴めて驚いている。その対象は、心の内に込み上げてくる黒歴史や独り言も含む。
そして人のネガティブも受信しづらくなり、こないだもあっちで生徒、こっちで別の人が泣いているという凄い状況で、平穏なまま80分授業をやり遂げてやった。
「サイコパス性に近いところを習得したのでは?」と今はウキウキしており、感情が邪魔していた部分の生産性がどう高まるか、ちょっと楽しみである。
今週はそれをさらに鍛えつつ、そして使ってみつつ、1週間を過ごしてみたいと思う。
- 4月20日(火) ―成長を感じるヘンなとき―
- 4月21日(水) ―成長を感じるヘンなとき2―
- 4月22日(木) ―客観視―
- 4月23日(金) ―超抽象論―
- 4月24日(土) ―発見はいつだって楽しい―
- 4月25日(日) ―休日とは―
4月20日(火) ―成長を感じるヘンなとき―
今日、仕事帰りにコンビニに行くと、多分大学生と思われる5~6人のグループがレジ前に集まっていた。
普段の根暗全振り野郎の僕ならば、その人達が店を出るまで、酒でも選ぶフリをしながら時間を潰すのだが・・。
この日は本当に自然と、「だから何だ」と言わんばかりに、そのグループの後ろに商品を持って並ぶことができたのだ!!!
いや、まぁ、これしきできて当然と言いたい気持ちはわかりますよ?僕は今年で30歳、いい大人なんですから。
ーしかし、元来の気にし過ぎを抑え込むことができたのは非常に嬉しく僕は思えた。今なら平気で、ラーメン屋さんにてスイマセンと言えると思う。
皆、僕のこととかどうでもいい。周りがどうでもよくなって初めて心の底からそう思えた。
ある種の真理に乾杯である。
4月21日(水) ―成長を感じるヘンなとき2―
今日、仕事の帰りにコンビニに寄った。酒を手にレジに並ぶと、ホットスナックコーナーに気になる光景が。
何かというと、他の所がガラガラなのに、一番下の段に美味しそうなフライドチキンが5~6個まとめて置いてあったのだ。
明らかに他意がありそうな状況。今までの超シャイな気にし過ぎマンである僕なら、その時点で諦めて終わりだったのだが・・。
今日は違った。店員さんにスッと、
「これ、売りモンですか?」
と聞けたのだ。すると、
「あ、並べてある場所は違うんですけど、そうですよー」
というさわやかな返事。そして僕は、無事に美味しそうな竜田揚げを買うことができたのであった。ついに、手にできる成果を得ちゃったってばよ。
心の声を無視する力。これ、いいわ。すごく、いい。
瞑想、まだまだ頑張ろう。
4月22日(木) ―客観視―
【瞑想】の習慣を続けていると、「ゲームか何かで自分を操作している」というのに近い感覚を抱くことが増えた。
要は、自分を第三者目線で観察しているかのような意識を抱くということであり、幽体離脱して後ろから見ている感覚とも言えなくもない。
言語化するのが困難な体験なのだが、これができるとどうなのかというと、例えば【自分の発言】に意識が向くようになる。
疑問形で終わった、話の流れが切れた、その辺がよくわかるようになった。だから逆に質問を入れようとか、フォローしようとか、今は自分のターンだとか、選べるのだ。
状況に応じてコマンドを打ち込んでいるかのような気分。何が言いたいのかよくわからなくなったけれど、客観視って結構面白い。
4月23日(金) ―超抽象論―
高校数学の学習はまだ継続している。最近は高校生に大不評の超難問ばかり集まっていると噂の問題集に挑んでは、なかなか進まないもどかしさに苦戦中。
こういう現実世界とは類似性のまるでない、抽象的過ぎる世界の中でアレコレ考えるのって、実は嫌いじゃないんだなって、今さら新しい自分に出会った気分ですわ。
現実世界では調和数列とか考えても仕方ないのだが、それによって解ける問題や、それを考えるプロセスは、意義あることに思える・・ような気がする。
その世界でしか通じないルールを見極め、そのルール内で考え、答えに辿り着く。数学、もう少しその道に突っ込んでみるとしよう。
4月24日(土) ―発見はいつだって楽しい―
授業をしようと教室に行くと、何やら呪詛のようなものが聞こえてきた。
聞けば、「11×11=121・・」といった感じで、11~19の累乗を暗記するテストがあるのだという。
さて。11の二乗、13の二乗・・と、答えだけをずらずら書いていくとこうなる。
121、169、196、225、256・・・・361
何だろう、この何か、規則がありそうで仕方ないけどそれが見つからない感覚。どうやら生徒にもその違和感はあるらしい。もどかしい。もどかしくてたまらない。
だからその後英語の授業を始めて、演習のターンになったときも、頭の中で僕は累乗の規則性について色々考えていた。
まず、同じ2桁の数の累乗を文字式(整数a,b)で表すと、(10a+b)^2である。しかし、今回は「11~19」の話なので、"a"(10の位)は必ず1である。
だから無視してよくて、つまり(10+b)^2である。
そしてこれを展開すると、b^2+20b+100という式が出てきた。
つまり、「1の位の二乗と、20に1の位を掛けた数を足し、それに100を足せばいいよ」という内容である。手間やな。
例えば”12”で実験すると、「4+40+100=144」ときちんと一致する。”19”まで試したが、正直成り立たないわけがない。(81+180+100=361)
そしてこれを突き止めたとき、僕はハッキリと脳内にアドレナリンが噴出されるのを感じた。純粋極まりない好奇心は、僕の中にまだ生きているようだ。
もちろんこんなもんは本番では使えない遠回りなのだが、突き詰めたことそのものにはある種の価値があるように思う。
来週僕は、この成果を生徒に話す。そう思っていたがGWで休塾やん。クソがっ。
4月25日(日) ―休日とは―
最近毎日職場に居るので、そろそろ変な目で見られ始めている。「なんで休まないの?」「なんで来るの?」といった具合に。
こういう人たちにとっては、休日は「休まなければならない日」という感じで、英語で言うと【must】の意味がそこに乗っている。
ただ、僕にとって休日とは、「休んでもいい日」というくらいの重さしかない。英語で言うと【can】くらいの雰囲気かなぁ。
前者の方々の主張としては、「お前が必死で働いているのを見ると、他の人が休めなくなる」というのがその理由であった。
・・・それって僕じゃなくて、そちらの方々の気の持ちようじゃない?「休めないだろ!休めや!」ってのも乱暴じゃないかなと。
ただ、もちろん献身的に働きまくる人を心配する気持ちもわかる。無理しているかしていないかは、外野だけじゃなく、当人もほぼ不透明だからだ。
ここの折衷案って難しいですよねぇ。まぁ、今日も働く僕が言っても説得力は無いか!尚、GWはそもそも仕事が無いので、そこは休む。安心してくだちい。
では今日はこの辺で。