精神年齢9歳講師のブログ

"よいこ"から程遠い目線から、授業のネタ、講師としての日々、そしてたまには教育や子供について、真面目なことを基本毎日書いてます。

【学校のルール】は【好奇心】と思いきり衝突しているよね、と思う。

最近毎日コツコツと「ブロックチェーン」という言葉を勉強しています。でも、まだ5%もわかっていない自信があります。絶望。中元です。

 

さて。今日は、本当にふと閃いたことを、小ネタとしてそれなりの文字数に引き伸ばし、書き殴る。

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特に幼児期の教育において、子供の【好奇心】をへし折らないことは大事だといわれる。できればそれを一緒に探求した方が良いとさえ、も。

 

例えば、「雲ってのれるの?」という問いに、「くだらんこと考えなくていい!」と答えるのは最悪で、せめて答えが書かれている何かを伝えたり渡したりはした方がいい。

 

こんな風に、【好奇心】が旺盛で、しかもそれを満たす環境にいたり、術を学んだりしてきた子供は、大抵成長するとかなりのステージにまで登ってくる

 

実際周りにいる人間で、飛びぬけて優秀と思う奴らは、情熱的とか冷静とかいう性格の差異を抜きにしても、大抵異常なまでに【好奇心】が強い気がしている。

 

さて。こういった風に、【好奇心】を大切にするメリットを考えれば、それを無下に扱ってはいけないというのは伝わると思う。

 

しかしそれを尊重しすぎると、円滑な運営に支障をきたす場がある。その最初のステージは、【学校教育】だ。【学校のルール】は、マジで【好奇心】と相容れない

 

今日はそんなお話。

 

 

「~した方が楽なのに。」

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基本、ルールとは、それを守ればみんなが得をするか、守らなければ全員が損をするか、その両方を満たすか、それが設計の基本となる。

 

例えば何故授業中に私語をしてはいけないのか、一応理屈を対話形式で書いておく。

 

生徒「なんで授業中に喋っちゃいけんの~ん?質問しちゃいけんの~ん?」

 

先生「授業は勉強をする時間ってのが1つ。そして人が説明しているとき、それを止められると、わかるものもわからなくなる。そしたら全員損だよね。

 

質問したら君は得するかもしれないけど、他のみんなは全員損してるから、それを考えても許すわけにはいかないんだよね。

 

聞きたいことがあれば、授業が終わってからどうぞ。個別に答えてあげるから」 

 

といった感じ。この辺が理解できるか、授業中におとなしくできるかは、教員の統率力よりも、家庭での躾にウェイトが乗っている気がするが、まあいい。

 

しかしながら、「授業中の私語」のように、はっきりとダメな理由を明示できるルールばかりじゃないってのが実際のところではないだろうか?

 

・・実例を言うと、僕は「消しカスを床に落としてはいけない」というルールに、今もあまり納得がいっていない。

 

毎度授業が終わるたびに、大抵教室の前に設置してあるごみ箱に捨てに行けと指導されるあれだ。

 

わざわざゴミ箱に行列を作り、手のひらいっぱいのそれを捨てる。うーむ、これって、誰が幸せになっているのだろう。今考えてもピンとこない。

 

もちろん、美化意識の徹底とか、そういった理由はあるけれど・・。たとえ床にポイポイ落としても、最終的に掃除の時間でまとめて処理するじゃねーか、と。

 

また、学校の先生としても、数十人の生徒が消しカスをちゃんと始末しているか、管理するのは大変じゃなかろうか。人的コストのでかさを考えても、微妙である。

 

だから例えば全席に紙で作ったゴミ箱をくっつけておくなどすれば、この辺りって一気に解決するような気もするけど・・・。

 

恐らく「バカか!」と一蹴されるだろう。理由を聞いても、「黙れ!」と一喝されるタイプの提案だ。

 

なぜかというと、それは今までそのルールを抵抗なく守ってきた大人たちに対する反抗のようなものだからだ。恐らく通知表にも、悪いコメントが付くのでは?

 

確かにこの辺を容認すると、「じゃあ、これはどうなん?」「あれはダメなん?」と、グレーゾーンなルールに対して意見が出まくり、学級崩壊するビジョンも見える

 

むやみに提案のすべてに耳を傾けることはできないが、この提案、常識に対する疑問、そして代替案って、つまり【好奇心の産物】ですよね。

 

だから学校教育ってマジ難しいなと本当に思う。統率と自由の衝突。運営の邪魔をしない生徒を"優等生"として扱いたくなる気持ち、劣等生だった僕だけど、実はわかる。

 

「なんでこれに従わないといけんのん?」ってのは、大人に対する反抗だけじゃない。常識に対する疑問ということもある。

 

ただしこれの大半は、"生意気"として処理されるのだけれども。

 

さて。

 

指折り数えて学校のルールを数えると、納得できるものも、そうしづらいものも、同じくらい頭に浮かんでくる。

 

そして僕が想像もしない目線から、それに問いを投げかける子供も絶対にいることだろう。

 

門前払いするのか、論破するのか、諭すのか、それともその案を採用するのか。

 

相反するけれどどっちも大切なことだからこそ、どう折衷するか、指導する側の力量が強く問われる場面だと思えて仕方ない。

 

ってことで独り言ではあったけれど、今日はこの辺で。

 

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