早起きして、釣り仲間と魚釣りにいって、授業・授業・授業。体力が続く若い自分に乾杯。中元です。
はい。普段だったら100%熟睡している時間に、釣りに行くべくドライブ中です。ただその間ぶっちゃけもったいないので、吹き込みでまた記事を書いております。
そんな今日のテーマは、【考えたら答えが出る問題】と、【どう考えても答えが出ない問題】の区別は、早い段階で身につけた方がいいよねっていうのにします。
まぁこの命題については僕の中でもまだ考えがまとまり切っていないので、時折変なことも言うと思いますが・・。できるだけ修正しながらまとめていきます。
では以下、続きです。
【絶対に答えがある!】―なんてのは少数派です。
【問題には必ず解がある】なんてのは、意外と気づけない偽の命題です。
正確に言えば、既に答えがはっきりと存在していて、必要なのはそれを掘り出すだけという考え方は、違うという具合ですね。
実は、特に社会に出てからは、考えたら答えが出る問題の方が稀です。
言い換えれば、ああだろうかこうだろうかと考えても、ループして結局全然答えに近づかないっていう問題の方が非常に多いんですよ。
ある程度まで考えたら踏ん切りをつけて、別のアクションが必要になるのですが・・・。特に学校教育で結果を出してきた人には、なかなかそれが難しい。
僕もそうなのですが、100点の答えがどこかに埋まっているような気がして、それを探し続けて、結果後手に回って逆に及第点が出せなくなることがしばしばなんですね。
同じミスを何度も繰り返し、ほとほと嫌になり、「一体、こんな考え方をしちゃう理由って何なんだろう」ってのを、昔じっくり考えたことがあります。
すると閃いたのが、「受験勉強のせいじゃね?」という仮説です。これは、どういうことか?
例えば、大学受験って、一見どれだけ難しかろうと、全部模範とされる答え、点が貰える数値や語句があるじゃないですか。
とんでもなく難しい数学の問題とかでも、文章を噛み砕き、計算を次々と解いていけば、2√2といった極めてシンプルな答えが出ることもありますよね。
こういった経験を積んでいくと、どんなに難問であっても必ず100点満点の答えはあるんだから、絶対にそれを探すまで諦めないっていう価値観に固まるんですよね。
こういうタイプは、周囲から「頭がいい」とか「勉強できるね」とか言われてきたことが多く、結果そこにプライドが乗る分一層嵌りやすい罠なんですよね。
拗れてしまうと、「答えが見つけられない俺に価値はない」って風に、色々めんどくさい方に振れていくこともあるので、やはり難儀です。
じゃあ、一体この思考からどう脱却するかって話なんですけど・・・。一番難しいのは、むしろこの方法を考えることですよね。
僕の中で、まだこれについては結構ぐるぐる頭の中で考えてるところなんですけど、次の項ではその途中経過をまとめていこうと思います。
つまり先人に学べ。
答えがない問題について取り組む際のヒントって、やっぱ今の世において、ビジネスをうまく回している人たちの言葉にあると思うんですよね。
それらを読んでると、やっぱ【答えのない問題についての取り組み方の共通点】って結構見えるんですよ。
まず、例えば答えがない問題っていうのは、取り組むも何も最初の一歩を踏み出すことすら億劫じゃないですか?その対処法が結構普遍的なのか、似ています。
それは、【最悪シミュレーション】です。もし目の前に横たわる問題を対処しなかったら、どんな悲惨な未来になるかを、まず考える。
そして結果、「それはさすがに嫌だよね」と納得し、第一歩のモチベーションに変えていく。結構この方法を使っている方は多く、色々なインタビューで散見します。
そして二つ目が、とりあえず決めて、それを正解にするための努力をする、というのも、結構共通点として多いです。
大事なのは、とにかく決断すること。さっさと決断して、その後にそれを正解にするために全力で頑張る方が健全だと、本当に色んな人が語っています。
答えのない問題っていうのは、先述の通り、ある程度以上って考えても仕方が無くて、いたずらに時間が過ぎていくだけなんですよ。
とっとと行動に移し、成果に繋がればもちろん良し。ただし結果それが上手くいきそうにないと分かった時は、その時点で修正すればいいそうです。
もちろん説明責任をきっちり果たした上で、謝罪も添えつつ、しかし戦略を変えることはためらわない。
これまた共通点かなー、と思います。とりあえず、今の僕は10%も、普段の自分の行動に落とし込めていないです、ハイ。
では、教育課程化でどう培えばいい?
答えが無い問題に答えを与えるために必要なのは、月並みな言葉ですが、やはり【思考力】ってやつでして。
そもそも、【問題を定義すること】からがスタートなんですよね。仮設定した目標を見据えて、情報を収集し、戦略を探っていく。こういうプロセスはマストだと感じます。
これが紆余曲折無く、ストレートに行ける人ってほぼいないと思うんですよね。例外はよほどの天才か、一度その経験をしたことがある人だと思うんですよ。
では、こういう場面は学校で学ぶことはできないのか?
実は、できます。ただし、5科目のカリキュラムと比べたら、その時間は非常に少ないです。その方法は、【議論】と【作文(小論文)】です。
問題の定義づけをして、それに対する情報収集も行い、そして動き出して、そのまま行くか、修正するかを考える。
この流れを強く体験できる機会は、この2つじゃないかな、と。そういった貴重なチャンスって、増やした方が良いし、逃さない方が良いとも思うんですよねー。
友達とやたらめったら議論しようと吹っ掛けてもめんどくさいだけですし、経験値を積むためにはなんかしらの工夫は必要に違いありません。
ただ、塾としてできることはねーだろーなと、そこは割り切っています・・。
終わりに。
ということで論理的になってるかちょっぴり不安なんですが、それは記事を文字に書き起こすときの自分に任せたいと思います。
(※全然お前頭回ってないぞ!かなり加筆したしかなり削ったわ!!!)
では、今日はこの辺で。