久しぶりの休日は、遊びに忙しくてうっきうき!中元です。
さて。今日のテーマなんですけど、【わかる】ってことには、どこまで重きを置くべきか?というので、お話したいと思います。
ちょっとぼかしてお伝えするんですけど、塾生の保護者の中に、凄い教育熱心な方がいます。
どういうことかというと、例えば授業の度に、宿題にしていた長文のあちこちに、丸がしてあるんですよね。
これは何かって言うと、その生徒が知らなかったり説明できなかったりした語句、とのこと。
「授業の最初に、それを全部、噛んで含めるように教えてください」っていうメモ書きが添えられてるんですよね。
まぁそれがリクエストとあらばということで、それは実践するのですが・・・・・・。申し訳ないのですが、偽善めいたことしてるなーって、すげえ思っちゃうんですよね。
てなわけで、こっからはそのジレンマについて、さらに深めてお話しいたします。
【わかった】から何なのか?
かつては、【わかりやすい】っていうこと一本をウリにする塾は、結構多かった印象です。
ただ、「わかりやすいだけじゃ成績上がらないよね」っていうことがだんだんわかってきたからか、その売り文句が全然魅力的じゃなくなってきてるんですよね。
僕自身も同じことを考えてます。正直、講師がわかりやすい説明をするなんて当たり前で、それをモチベーションとしてどう成績向上に繋げるかが仕事だと思います。
例えば問題演習の方法1つ取っても、個性や弱点に応じて、使えるカードは色々あるわけで。いわば選手とコーチみたいな関係性ってのが、僕は大事だと思います。
では、今回の「語句の意味がわからないから全部わからせてほしい」というリクエストを、僕はなぜ偽善だと感じているのか?
例え話で言うならば、これはそもそも「筋トレ用語の意味が全然わかってないので、まずはそれを教えてください」っていうリクエストを受けてるのと同じだからです。
正直に言わせてもらうと、語句の意味くらい自分で調べて欲しいんですよね。語句の意味を教えてお月謝を貰う。すごく申し訳ないし、勿体ないです。
流石に自分の力でも、少しは自学ができなきゃいけないよねってことで、答え合わせは基本的にやらせたり、語句の調べ方を教えて練習したりしていたら・・。
「放置しないでほしい」っていう半クレームを受けちゃったんですよね。「うちの子はまだ自分で採点ができないから、そういうのも含めてお願いしてるんです」と。
ー最近は、「わかりました」と受けて、授業の内70%を使って語句の意味を教えています。それが要望なので、従っておこう、と。まぁ、ダメなんですけどね、色々。
ぶっちゃけ、わからないところが多少あっても、問題って解けるんですよね。理系のやつとか、ノリで問題を解いて、実際に点を取ってきますし。
仔細のレベルで人に説明できるまでの理解って、果たしてそこまで必要なのかっていうのは、やっぱ強く思うんですよね。
ただこれ以上言うと、たぶん「放置することを正当化しようとしてるんですか!?」みたいなガチクレームになりそうだなと感じてます。
ただその子は、自分が賢くなった感覚を疑似体験できるようで、実は満足度が高いんですけども・・・。(だからこそ偽善に思うのです)
ま、ということでわかりやすさに関する僕なりのジレンマを、簡単に話してみました。
とはいえ僕もそろそろ、【講師】からは軸足を抜いていくつもりなので、自分の経験値というより人に伝えるネタという側面が強いのですがねー。
全部わからないとダメだと考えれば、一歩も先へはいけません。80%がたくさん取れる生徒の方が総合点は伸びますからねぇ。
まぁ、ただのボヤキです。では今日はこの辺で。