ワンピース・フィルムゼットを観て大号泣した中元です。男が一本筋を通す生き様、やっぱり憧れみたいですねー。
さて。昨日アップした記事はぶっちゃけストレスと闇にまみれていたが、冷静になって読み返すと、あながち間違ったことは言ってないとも思うワケで。
ちょろっと書いた話なのだが、僕は150コマという無茶苦茶な授業を行って生めた財の少なさに、マジで絶望している。
つまりこれがワンマンの限界、いわばプレイヤーとしての自分の限界なんだろうと、そう思うラインに行きあたってしまったという話だ。
そんな状況下で思うことを、今日はもちっとだけ掘り下げてみようと思う。
僕はプレイヤーか、マネージャーか。
うすうす気づいていたが、僕は今の【授業をウリにする】という仕事の仕方について、核にするほど熱狂しては無いらしい。
もちろん割り振られた授業は準備をして臨むし、その為の学習も継続してはいるのだが、「明日からしなくていいよ」と言われたら多分簡単に捨てる。
むしろ今はやはり、僕はマネージャー的な仕事にウェイトを置きたいと思い始めているっぽい。だってその方が、みんなでより多くの財を生めると感じるからだ。
大学生講師がより授業に専念できるにはどうしたらいいか?学習環境を整えるにはどうしたらいいか?僕は全体益を考えるこの時間の方が好きなのだ。
―さて。こんなモヤモヤをさらに言語化するべく、色んなことを調べていると、【ピーターの法則】という、面白くもゾッとする教えを発見した。
引用して紹介する。
能力主義の階層組織の中において、人は自らの能力の極限まで出世する。
しかし、能力を有する人材は、昇進することで能力を無能化していく。
そして、いずれ組織全体が無能な人材集団と化してしまう。
これはどういうことなのか?例えば、営業の腕がピカイチな人間は、大抵【有能】とされて、出世頭に名を連ねる。
しかしその後、営業から管理へ出世したとして、そこでも活躍できるかどうかは無関係である。
もし管理のセンスが無ければ、【無能】として悲しいけどそこで燻ることになる。ただ、そこでも頭角を表せば、また昇進することがたぶんできる。
とはいえ、昇進した先で活躍できるかはまた別問題であり、これを繰り返せば【無能になるまで出世するよね】という残念な法則が浮かび上がってくる。
これがピーターの法則だ。(ちなみにこの例では、営業すらできない人間は最初から【無能】扱いで、下位カーストから出られないというシビアな現実も付記しておく)
…なぜこんな逸話を紹介したか?ぼかしてもしゃーないので、感じていることをストレートに書いてみる。
僕より授業が上手な人は多い。だが、僕は彼らより多分、マネージャーな仕事に向いている。
となれば、僕が好きな比較優位論の話で説明がつく。
僕が管理面に力を入れて、先輩方は授業に注力すれば、企業全体として生める財が増えるということだ。
もうこれは疑問を差し挟む余地が無いとさえ思う。だからこの前期の働きを振り返るレポートで、僕はこれを会社に対し提案する所存である。
―まぁ、9割の確率で「やけになるな」とか、「あまえんな」とかと言われるんだろうが・・。とりあえず言わないことには、始まらないし。
僕は授業から軽く身を引いた方がいい。そして僕はそれをストレスとも理不尽とも思わない。だからお互いのニーズも適正もマッチしているのだ。
・・・やはり、150コマくらい授業ばっかりして思うこと―。
個人でできることなどたかが知れている。
そういえば似たエピソードが【人生の勝算】に書いてあったが、その言わんとするところがようやっと腑に落ちたナァ。
・・・・・てなわけで、これを一般的な教訓に落とし込むとしたら、うーん、なんだろう。
いくら好きでも、命を削るレベルには毎日の中に放り込まない方がいいですよ。
って感じかな。ということで明日はちょっとくらいポップな記事を書けるように、ネタ探し頑張りまーす。
では今日はこの辺で。