精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

本当に優秀なひとは、”そのせいで”組織の上に昇っていけない説。

ケトジェニックダイエット大体6日目、ついに空腹感が無くなってきました。覚醒寄りの中元です。

 

はい。今日は改めて、こないだ読了した本のまとめみたいな記事を書いてみようと思う。それは何度か紹介した、以下の2冊である。

 

これらは何かというと、薄々そうなんだろうと思いつつ、でもそうとは思いたくなかった現実を、豊富な実例・データを基に白日の下に晒しまくる大著である。

 

これを読むと、「なしてあの人がこんな低いポジションで、あんな人がエラい肩書もろてんの?」という疑問が、一番残酷な形で氷解していく。

 

今日はその教訓を、なるべく身近な例を使いつつ、まとめていこうと思う。

 

 

理想的なリーダー像を体現する人は、リーダーになれない。 ―優秀が無能になるマジック

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そもそも、理想的なリーダーとはどんな人だろうか。謙虚?忍耐強い?カリスマ性がある?誠実だ?なるほど、色んな要素が浮かぶと思う。

 

―その中で、"本当に"優れたリーダーと評される人が共通して持つものは何か、おわかりだろうか?

 

それは、謙虚さと誠実性らしいのだ。カリスマ性もある程度相関するが、それが最たる決め手にはならないことの方が多いという。

 

・・・では、あなたの周りに、本当に物腰穏やかで、感情も安定した、意見を聞いてくれるリーダーは、何人存在するだろうか?おそらく、大変少ないのではと思うわけで。

 

何なら、「気弱」などと評されて、能力も人徳もあるにもかかわらず、閑職に追いやられているケースさえ散見する。この裏に働いているマインドはなにか?

 

それがまず、これらの本で暴かれる最たる闇の1つだ。人間は本能的に、リーダーのステレオタイプを体現したかのような人間を、リーダーに据えたがるようなのだ。

 

自信満々に物事を語り、カリスマ性を発揮し、自己顕示欲も高い。他の要素はさておきそれらを満たす人を選ぶというのが、結局のところ真理なのだという。

 

・・・もちろんそれで優秀ならば別にいいのだが、実は上記3つを満たす人は、同時にあるめんどくさい性質を兼ね備えていることが多いのだという。

 

それは自己愛、あるいはサイコパスだ。極端に言えば、何かあったら他人のせい、良いことがあったら俺のおかげと思うタイプである。

 

他者をコントロールしたいという欲が強く、根性論や精神論が大好きなタイプでもあるそうだ。心当たり、いくつかないだろうか?

 

例えばスティーブ・ジョブスといったカリスマも、リーダーとしてみれば決して優れた人物ではなかったといわれている。(創った会社を追い出されたこともある)

 

こういった人たちは、持ち前の自信と大声とカリスマ性で、謙虚で誠実な人の存在感を食い、完全に消す。だから出世競争に勝ちまくるのだ。

 

だが、ベクトルが完全に自分に向いた人は、組織を率いて一つの目標を目指すことが苦手と言われる。若手が伸びれば圧を強め、責任は分散させ、権力は集中させる。

 

そうすると、最初に書いた構図が出来上がるのだ。

 

「なしてあの人がこんな低いポジションで、あんな人がエラい肩書もろてんの?」

 

昔読んだピーターの法則に繋がってくる話だ。下が必死で支えないと崩れる状況なのに、「あのリーダーは成果を出す」と評価されるミラクル。たまらないぜ。

 

こんな具合で、謙虚さや誠実性こそが自分の強みだと自負する人は、実は出世競争に最初から圧倒的に不利という現実は、辛い話だが知っておくべきだろう。

 

つまり、理想的なリーダー像を持つ人がリーダーになれない人は、世間が求めるリーダー像を満たしていないから

 

これを知ってしまうと、もう採るべき手段は、2つに1つとなってしまう。以下それに関して、僕が腹を括ることになった理由にも繋がることを書いてみたいと思う。

 

甘んじるか、したたかに戦うかの二択である。

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採るべき2つの手段。それは、その状況に甘んじて、そのフレームの中で成果を出すことに決めるか、その状況に対し完全に戦いを挑むか、である。

 

甘んじるとは、自分の上に立つ人が昇進するのに乗じて自分が立身出世するのを目指すタイプであり、これはこれで、ある程度までは登れるルートではある。

 

最初からこっちのコース全振りで上に立つことを目指している人も、決して少なくない印象だ。ドライに戦略として考えるなら、別に悪くはない。

 

しかし僕は、はっきりとそういう生き方は嫌だなと思った。ずっと言っていることなのだが、僕は自分のケツを自分で拭きたいのだ。

 

今年、僕は自分の出した数値で堂々と昇進することを期待した。だが結果は、リーダーっぽい人が続投することになっただけで、僕の肩書は1㎜も動かなかったのだ。

 

こんな風に、正面突破では勝てない、変わらないと悟った今、甘んじることは嫌だとなれば、自分で自分のための場所を創るしかないと思った。そういう話である。

 

昨日も一昨日も、管理者のヌケモレによって生じた火種を、僕が肩代わりして消火した。だがその功績は、組織の体制上そのリーダーに帰することになる。

 

奥歯を食いしばり過ぎてひびが入るかと思った。だが、半沢直樹みたいなことを企む余裕はもうない。現実はもっとシビアなのだ。

 

ということで、要するにサブのポジションに甘んじ続ける意味がもう全くわからないのに、何も変わらないことが分かった手前、【独立】しかないと悟った次第である。

 

もちろん、あなたのリーダーが稀有な人格者であれば、組織のシステムがそういったタイプの人を昇進させないものになっていれば、この2つ以外の道もあるだろう。

 

だがどうやら、ほぼ例外なく、この二択になってしまうようなのだ。この2冊を読めば、本当にそうだと思わされる。

 

自分のストレスの強さに笑ってしまうが、要するに言いたいことはこの2冊はめっちゃ面白いよということなので、それだけ覚えていただければ幸いである。

 

ってことで今日はこの辺で。

 

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