精神年齢9歳講師のブログ

校舎での出来事、読んだ本、つまりインプットを全てアウトプットに変える実験場、的な。

僕の塾講師としての第一章は、最長でもあと数年で終わらせる。 ―新体制が始まって、色々と感じること・・。

ジャガイモ12個をひやひやしながら圧力なべで煮込み倒した中元です。無事に調理は終わったように思えるけど・・・。

 

はい。今日は仕事終わりに職場で虫の声に耳を澄ましていて、ふと始まった脳内問答を、言葉にして整理しただけの独り言記事である。

 

前にもどこかで記事にした記憶があるのだが、僕は塾講師としての自分のピークはすでに越えて、いわば落ち目に入っていると感じている。

 

なんなら、35歳前後を目処に、教壇に立つ自分を引退しようという決意が、日に日に固まっているほどだ。

 

ここだけだと非常に誤解されるのだが、僕は教えることそのものにうんざりしたわけでもないし、生徒のことが嫌いになってきたわけでもない

 

もっと捻くれた感情が主な理由であり、僕一人がプレイヤーで生める財の少なさに、辟易してきたというのが本心なのだ。

 

ということでここからは闇の面も出てくるのだが、一切削ることなく、あくまで文体を整えるだけの推敲に留めつつ、話を進めていく。

 

 

せいぜい【SR】である自分。

 

自分で言うのもなんだが、僕はプレイヤーとして滅私奉公してきた自負がある。つまり、僕を適切に配置し機能させることを、あくまでも管理者に委ねたのだ。

 

気付けば立場そのままに仕事ばかりが降ってくるようになったことなどから、その状況にいい加減嫌気がさし、ついに更に上の立場の方へ直訴を始めたのが最近ことだ。

 

しかしどうやらこの後期も、ドラスティックな配置転換はなさそうだ。また「様子を見て判断する」といった具合で、アキレスと亀の逸話を思い出してしまった。

 

ところで、僕はもう、人に期待することを意識的に止めている。自分が主体的に動かない限り、状況が自分の思うように好転することなどあり得ない。そう思うのだ。

 

一応、僕自身に肩書を持たせるという打診はなくもない。ただ実をいうと、その提案がたとえ社長から来ようとも、ちょっと断ろうかなと考えている

 

中途半端な環境の変化―。長という肩書がついただけで、責任も裁量も給料も変わらないことが見えているのなら、名ばかりの昇進に、意味などあるのだろうか。

 

僕はこの疑念を、あえて消そうとは思わない。皮膚感覚でこの提案が嫌だと思っているのなら、無理して受けたところで不幸が待っている可能性が高い。

 

なぜ僕は、裁量が欲しいのか。自分の胸の内を片っ端から言語化していくと、僕が溜め込んできたマグマが思った以上に多く、思った以上に沸騰していることに気付いた。

 

僕は意思決定に自分で責任を持ちたい。自分の色を出した校舎を創ってみたい。たとえそれが修羅の道であっても、自分が納得しているのなら、それを選んでみたい。

 

―この2年は、プレイヤーとしても手を抜かず、同時にマネジメントの仕事も全力で取り組んだ。生徒が演習している最中に、管理者としての仕事をするのも日常だった。

 

成績を上げるためにあれこれ考えつつも、大学生講師に仕事を依頼して。ときに越権行為だと叱られて、壁を殴るほど憤慨して。そんな磨り減るような日々・・。

 

結果、悟った。傲慢だろうが、断言する。僕は諸先輩方より、マネジメント能力は高い【管理】というスキルにおいて負けているという感覚は、微塵もない

 

ある意味、僕は怒っている。駒として自分を提供しつつも、例えば休憩時間の確保や、面倒な仕事の処理に使われ続けたことに。

 

現状の階層的な組織において肩書を貰っても、僕に対する目が変わることは期待できない。かといって意識的にふんぞり返る自分も、ダサいから嫌だ。

 

一旦は取り下げたのだが、心の底で消えずに火は生きていたようで、最近再び燃え始めたある夢がある。

 

僕は【独立】しなければならない。もうそのくらい、思いが強くなってきた。責任者としてもし昇格するにしても、そのための準備という位置付けに据える。

 

組織内の昇進は、やはり副次的なものだ。最たる目的は独り立ちである。この状況を我慢して働くことに耐えられるのは、今年が限界だろう。

 

―つくづく悟っているのだが、僕は講師という商売だけでメシを食っていくことは絶対にできない。卑屈ではなく、努めて客観的に考えた結果、そう考えている。

 

どこかで講師としての自分にきちんと幕を引き、代わりに他の講師が生き生きと働ける環境を創ることへ夢中になりたい。これは贅沢だろうか?僕は逆だと思うのだが。

 

上は完全に詰まっている。そんな中、新しい顔も入ってきた。誰かが抜けねば、余白がない。幸い僕は独身だし、年齢もまだ切羽詰まってない。

 

条件は整っている。自分が独り立ちをするために、あたかも現実の方が帳尻を合わせつづけてくれているような錯覚さえしてしまう。

 

もちろん主観的なバイアスが多分に入っているので、自分を肯定する論理ばかりが浮かんでくるだけであり、非常に危うい思考なのだが・・。

 

はい。具体的に期限を言ってしまえば、3年くらいを掛けて、じわじわと生徒に直接授業をする自分を引退する。少なくともこの方針は変えない所存だ。

 

社員の中では、授業中に死にたいというほど情熱を持っている方もいるのだが、僕にとっての授業は、そこまで偏愛できる対象ではないようだ。

 

むしろ授業をすればするほど、自分一人でやれることの小ささを、限界を、まざまざと思い知ってしまう。それがここ最近、胸の内で感じていることなのだ。

 

僕はよくて【SR】程度の存在だ。SSR】や【UR】の人たちがひしめく世界で勝ち残り、生きていけるわけがない。そしてそこまで、情熱もない。

 

寂しさ10%、すっきり90%。不思議なことに、今感じる正直な感情は、こんなところである。

 

「成果は態度に勝てない」

 

僕が受け持っている生徒は、偶然にも中3、高3が大半だ。つまり卒業したら、その分僕の空き時間が増える

 

意識的に、この空き時間を潰さないこと。そして、潰させないこと。そうしないと、僕は講師としての立場を永遠に脱出できなくなる。次年度の課題はそこだ。

 

対症療法のようなことを繰り返しても、歪みの根本原因を正さない限り、いずれ同じようなズレやエラーが繰り返し現れるだけだ。

 

その根本原因こそ、断言するが僕に何の肩書もないことだと思う。肩書がなければ裁量もない。中間管理職ですらない立ち位置。

 

いくら成果を上げようと「みんなで頑張った結果」になるし、上の方々は「心を入れ替えて頑張ります!!」と宣言すれば、降格話も有耶無耶になる。

 

態度は実績に勝る。ある程度の年月を重ねた会社である限り、この文化は同じだろう。つまり、どこへ行ってもこれは前提だ。そう諦めた。

 

そんな中では、何がベストの選択なのか。頭がおかしくなるほど考えに考えて、【独立】という道を見つけたのが今年の春だ。そしてそれは、やはり間違っていない

 

結果それを潰す未来が待っているといわれるだろうが、同時に上手くいって楽しくやっている未来もある。トントンに生きている未来だってあるだろう。

 

30歳を過ぎて「その通りだな」と思うようになったのだが、選択に意味はそこまでない。何を選んでも、どうにでもなる可能性が残るからだ。

 

ではどうするかというと、直感に委ねるくらいでちょうどいいよなと。そして僕の直感は、今の状況よりは絶対楽しいと告げている。そういうことである。

 

その第一歩として、僕は講師という働き方に区切りをつける。でなければズルズルとこの半端な状態が続くし、それは心の底から嫌な人生である。

 

―読み返すと同じことを何度も言っているのだが、それはつまり、どの起点からでも結論が同じになるということであり、それほど肚が決まっているということだろう。

 

正直誰に向けた話でもないのだが、頭の中の霧がだいぶ晴れたので、長い時間を割いた甲斐はあったなと思った。

 

ということで今日はこの辺で。

 

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