めっきり涼みましたが、ジャケットが押し入れの奥底に入りっぱなしの中元です。いやまぁ、めんどくさくて・・。
さて。今日は自分の中でずっと落としどころを考えている、講師とマネージャーについての話を書いてみようと思う。
というのも、塾講師が出世・昇進を果たす際は、まず講師としての力量を認められなければならないというのは、想像に難くないと思う。
しかし、講師としての力量は、校舎運営・人材管理のスキルと、果たしてどこまで相関があるのかなと、考えれば考えるほどこんがらがってしまうのだ。
例えば、勉強ができれば何でもできるってことだろうか?
・・・ただしこれが詭弁であり暴論であることは、もはや経験則のみならず研究論文でも証明されていることだ。
もしかしたら、いっそ別物として考えて、講師ならば講師業を突き詰めて、マネージャーに適性があるなら講師ではなくそちらに専念した方がいいのでは?
こんな仮説をぼんやりと考えては、違う気がすると思い直し、でもでたらめを言ってるわけじゃないよなと再度頭に浮かべては、答えが出ずにひっこめる。
もうこういうのにも飽き飽きしてきたので、きちんと言葉にするとしよう。以下その脳内談義のまとめである。
講師とマネージャーはどう違う?
講師とマネージャーはどう違うのか。まずはそこから考えていこう。
まず講師業で求められる能力とか性格は何なのかということを見ていきたい。すると僕の中では、【職人】であり、また【クリエイター】という印象が強めである。
授業とはいわば究極のアウトプットであり、小説家でいうところの小説で、芸術家でいうところの絵画をはじめとする作品と同義だと思うのだ。
―となればその作品を作るためには、まとまった製作時間が必要になるのは間違いないだろう。特に質を突き詰めれば突き詰めるほど、それに没頭できる環境が必要になる。
塾の仕事に当てはめれば、最終的に稼ぎを得てくる存在であるため、ここで如何に高いクオリティを出せるかが、結構校舎の死活問題になってくるとさえ感じる。
一方、マネージャーはどうだろうか。定義は難しいのだが、今回は校舎長という風にしておこう。
僕が思うにその仕事は、講師が講師として力を発揮できる環境を作ることだと思う。そのための細々したことは、一手に引き受けるという感じだ。
ご家庭とのやり取り、教材の準備、適材適所を常日頃から考えて、俯瞰で状況を見続ける。意外と縁の下の力持ち的ポジションなのが、このマネージャーなのだ。
・・・となれば、しっくりくる例が頭の中にポンと閃いた。そしてそれを考えたとき、「両立は難しいわなー」と、そっちに少し傾いてしまった。
続いてはそのお話。
選手と監督。
講師とマネージャーは、いわばスポーツにおける選手と監督の関係にそっくりである。講師が試合で活躍し、マネージャーは指揮を執っていいプレーを促す。
―となれば、選手兼任監督の実例を考えると、講師かつマネージャーはどこまで現実的なのかがわかると言えそうだ。
ってことで少し調べてみたが、選手兼任監督にしたおかげで成功した例は、ほぼ皆無であった。
もちろんその例はあるにはあったが、その方は監督に専念したあと、さらに好成績を叩き出していたので、選手兼任監督"だから"という理由とするには難しい。
となれば、どこかできれいに切り分けができれば理想だが、中小の規模だとそれは難しいだろう。ただせめて、比重の置き方は調整ができないかとは、ふと考える。
ちなみに夏の疲労困憊時に愚痴ったが、僕はどちらかといえば講師タイプではなく、マネージャータイプだと自負している。
授業を考えるのも好きといえば好きだが、それに全情熱・全時間を注げるほどでもない。もっと選手がのびのびプレーできる環境を作る方が楽しいと感じている。
―脱線したので引き戻すが、やはり講師兼任校舎長というのは、選手兼任監督なりに難度が高く、実は成功例も少ない働き方と考えて良さそうだ。
尤も、中小の規模だとそれくらいできないとマズいという事情はあるだろうが、規模が大きくなってもそのモデルを死守するのはかなり難しいだろう。
どこで線引きをするか。僕は一度、講師としてのキャリアに区切りをつけてもいいと会社に直談判したんすけどね。レポート伝ではダメか。
近く、また仄めかしてみようと思います。
というわけで今日はこの辺で。