精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【好きなことで生きていく】の意味が、やっと腑に落ちた件について。

片頭痛の頻度が年々上がり、頭痛薬マイスターになりつつある中元です。今はバファリンの新作?を試そうかなとワクワクです。

 

さて。死ぬほどどうでもいいのだが、僕は【好きなことで生きていく】という言葉が、その通りだと思いながらも、何年もの間ずっと腑に落ちていなかった

やはりどうにも、「そうはいっても才能の壁は超えられない」という諦めや、どこかその裏に感じる無責任さが、その原因なのだろうとは思う。

 

だからその言葉を真に受けて、キラキラした未来を脳内に描く生徒を見るたび、応援したいという気持ちと、甘いと思う気持ちが入り混じり、もやもやしたものである。

 

しかし、つい今日の話なのだが、この言葉がついに僕の中へすとんと落ちたのだ。理由は簡単だった。僕は前提を間違えていたのだ。

 

今日は目からウロコが何十枚も落ちたような気付きを、いささかの昂奮を込めつつシェアしたいと思う。

 

 

僕が【好きなことで生きていく】という言葉に無責任さを感じていた理由とは?

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僕がこの言葉に無責任さや、何なら偽善さえも感じていた理由はシンプルだ。現実はそんなに甘くないことを、データも経験則も示しているからである。

 

例えば、10000時間の法則という言葉がある。簡単に言えば、どんな凡才も、それくらいの時間努力すれば、達人レベルになれるみたいな意味である。

 

毎日3時間の努力を、9年チョイ続ける計算だ。意外と短いと感じるのは僕だけだろうか。

 

ところで、もしこれが本当ならば、必要十分な時間を掛ければ誰だってプロのアスリートだし、誰だって京大・東大生になれると言える。

 

しかし、現実はそうじゃない。どうしても目を背けられないのだが、【才能】や【適正】という生まれ持ったものは、どうしてもそこに付きまとうのだ。

 

実際、10000時間の法則はウソだとする調査も、あちこちで出てきている。努力がすべてを変えるとは、やはりどうしても言い切れないのが、シビアな世の中の話らしい。

daigoblog.jp

 

・・・こういうのを見るにつけ、やはりどうしても、【好きなことで生きていく】という言葉を鵜呑みにすることは、自分も他者も危険だろうと思うようになった。

 

その【好きなこと】に適性が無い場合、投資した資本の全てが徒労になるというリスクを考えれば猶更だ。

 

長くなったが、これこそが僕が【好きなことで生きていく】ことに異物感を覚えていた理由なのである。

 

・・・が。

 

実はこれ、前提が変われば、論理展開もまるで変わる。こういう考え方になるのは、単に僕の性格がくそ野郎だったという話に過ぎないのだ!

 

ということで事項では、それに気づいたきっかけを紹介しながら、まとめていこう。

 

【好きなこと】に10000時間費やすと、大抵は・・。

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僕は勝手に、10000時間の法則を、優劣が絶対につく分野で当てはめて考えていた。それが皮肉的思考の原因なのだ。

 

確かにスポーツなり受験なりは、競技人口も多く、またはっきりと勝者と敗者が決まり、また才能の有無が大きな要因を占めるのも間違いはないだろう。

 

しかし、特に優劣が存在しない分野で、かつ自分が【好き】というそれだけで圧倒的熱量を注げる分野だったら、話はどうなるだろうか

 

例えば、キャンプを例に考えてみよう。キャンプが好きで好きで、たまらないとする。だから、毎回毎回、テーマを変え、場所を変え、グッズも買い漁る。

 

結果、投資した時間はすべて、キャンプに関する知識と経験値に還元されていく。しかも情熱が付随しているのだから、定着率も極めて高いだろう。

 

また、そのうち、他のジャンルにも興味を示すことは、容易に想像がつく。例えばキャンプ好きがきっかけで、渓流釣りにハマるように。

 

そうやってクモの巣状に知識を展開し、そのそれぞれを情熱と経験値で繋げていくとどうなるか。

 

10000時間も経つ頃には、唯一無二のキャンパーになっていることだろう。この人に対し、誰々の方があれそれに詳しいというマウントは、マジで無意味となる。

 

そして今は、その唯一無二、つまり突き詰めた先が他の人にも魅力的にうつる時代になったのだ。「いいな」「楽しそう」という共感や羨望が、お金さえ生む世なのだ。

 

優劣の存在しない【好きなもの】には、10000時間を投資する価値がある。この対象には、才能など存在しないし、むしろ邪魔だともいえる。

 

記憶力が良い人は、即座にキャンプ用品の名前を暗記し、メーカーもすらすら言えることだろう。だが正直、「だから何?」なのである。

 

才能があれば、確かに技量として高いところに行ける。だが、技量もくそもない世界では、上に行くために必要なのは純粋な【好き】という気持ちなのだ。

 

そして今は、それを発信し、バーチャル上のやり取りで共感や信頼を、金銭という形に変えることさえできる。つまり、好きなことで生きていけるのだ。

 

ちょっと前に熱心に勉強したトークンエコノミーだのなんだのの知識も一気に繋がって、僕は今、テンションがこっそり爆上がりしている。

 

だからこそたぶん、言語にし損ねた部分もあるのだが、とりあえずそのまま書き残しておくことにする。

 

参考文献。

 

―この気づきに至ったのは、洋書なのだが、【Think Like a Freak】という本に書いてあったことが大きい。

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www.amazon.co.jp

 

ちょっと引用してみよう。

 

Why is it so important to have fun? Because if you love your work (or your activism or your family time), then you’ll want to do more of it. You’ll think about it before you go to sleep and as soon as you wake up; your mind is always in gear. When you’re that engaged, you’ll run circles around other people even if they are more naturally talented. From what we’ve seen personally, the best predictor of success among young economists and journalists is whether they absolutely love what they do. If they approach their job like—well, a job—they aren’t likely to thrive. But if they’ve somehow convinced themselves that running regressions or interviewing strangers is the funnest thing in the world, you know they have a shot.

 

がばがば翻訳↓

なぜ楽しむことがそんなにも重要なのか?

 

それは、もしあなたが仕事を(あるいはあなたが身を乗り出したくなる何かや家族との時間を)心の底から好きこのんでいるのなら、もっとそれにのめり込みたくなるものだからだ。

 

あなたはきっと、寝る前も、そして起きてすぐも、それについて思い巡らせるだろう。

 

あなたの心はいつもエンジン全開状態だ!それくらい没頭しているとき、天性の才能を持つ人さえも、あなたは凌ぐだろう。

 

僕たちが個人的に見てきた限りでは、若い経済学者やジャーナリストが最終的に上手くいくかを見抜く最善の方法は、彼らが心の底からやっていることを愛し抜いているかどうかである。

 

もしやっていることが”お仕事-そう、お仕事-”に近づくほど、上手くいく可能性は減っていく。

 

しかし、分析でもインタビューでもなんでも、それこそが世界一楽しいことだと心の底から納得しているなら、きっと彼らはやってくれる、ってわけさ。

 

という感じだ。これを読んだ瞬間、同時に羽生善治さんが決断力で書いていた「続けられることもまた才能」という言葉もつながってきた

 

子どもと言われればそれまでだが、でも僕はすごい真理に触れた気分さえしているほど、大事な答えの末端に触れたと考えている

 

このトキメキが少しでも伝わっていたらうれしい。では今日はこの辺で。

 

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