本当になんか知らないですけど、今年度はしれっと過去最高の売り上げを取れそうと今日分かった中元です。なして?
はい。今日のテーマだが、あることを白状したいと思う。実は僕、自分が幼稚なくせに、小学校低学年までの子供の相手がずぅっとずぅっと苦手である。
正直大人子ども問わずロジックが通じない存在がイヤってだけなのだが、ついでに白状すると、幼児向けの授業に入っている時間は、本当につらいと思うことさえある。
その理由は、天真爛漫さゆえ、僕が理想としていた状況からどうしても程遠くなってしまうためだ。騒ぐときは騒ぐ、わがまま言うときは言う。
ピシッと統率された環境に、どうしてもならない。毎度毎度、お前には力量が無いことを突き付けられているかのようで、心が辛かったのを記憶している。
―しかし、だ。
先週くらいに、「もしかして前提がおかしい?」とふと気づいて、改めてバイアス取っ払って、小学校低学年を受け持つ先生は何をしているのかを調べてみた。
そして、色んな具体例を読んで、イメトレしていく内に、じわじわとわかってきたことがある。
それは、
「小学校低学年までの授業も、完璧に黙々と問題に取り組ませないとダメ!」と思ってると、心を壊す
ということだ。
今日はそれについて書いてみる。
誰もしゃべらない環境をゴールにする人はいない!
まずそもそもの前提なのだが、小学校低学年(実年齢だけじゃなく精神年齢も)の子たちを完全に50分沈黙させることは、非現実的だとわかっておいた方がいい。
もちろん授業時間の大半を無法地帯状態にするのは、はっきりとした力量不足なのだが、少し乱れる時間があっても、それは講師の瑕疵ではない。
例えば、以下の記事を読んでみると、全員が沈黙することを目指すアドバイスはどこにも見当たらない。
なんなら、「ザワザワはどうせするんだから、即鎮火できるように全員をマインドセットすることが大切」というメッセージを僕はそこから感じている。
だからこそ、「いったん発言を受け止める」とか、「そもそも授業のどこかで盛り上がる時間を作る」といった施策がそこで提案されているというわけだ。
つまり本当に低学年を対象としたコンテンツを預かる人としては、目指すべきは乱れてもすぐに戻せるような関係を結んだり、システムを用意したりすることなのである。
尚、それでも「いや、完全に沈黙した環境がいいんだ!」と固執するのなら、それこそ恐怖政治で完全に押さえつけるしかない。体罰・暴言は全肯定。
そしたらクレーム祭りになるのは火を見るよりも明らかなので、そっちで心を壊さないよう気を付けてくださいませ。
”おりこう”ばかり集めたければ、もう選抜するしかないよ。
ここからは確率の話をしてみよう。各種の発達障害の割合は、以下のサイトに超詳しくまとまっている。
これを基に考えると、どうしてもジッとするのが苦手なタイプの子は、集団の規模が大きくなると必ず含まれるとみて間違いない。
それこそ、公立小学校の1クラスの大きさであれば、1~2名は必ず入るくらいの計算にはなる。
もっと言えば、幼児向けコンテンツへの問い合わせを入れるご家庭は、そもそも【しつけ】目的が多い印象がある。手が掛かるからこそ、外部へ委託するという話。
となれば、幼児向け英会話や絵画教室、そろばんや習字といった教室に、そういう子が多くなりがちなのは、実はただ論理的に考えたら導けるということだ。
そこまで考えつつも、「いや、できる子ばかりのクラスを作りたい!」というのなら、入塾の段階でしっかりと選抜することを僕はオススメする。
結果それで利益が出せるのかは知らないが、そうすればその目的は達成できるだろう。まぁ、そういうことをする塾に、僕は問い合わせを入れないけどさ・・。
【余談】そして僕も、一つ成長を感じた時間がありましてな。
そういえば今日、僕の中で成長を感じる一幕があった。今までは単に憂鬱な時間だったのだが、せっかくならばと、先の記事で提案されていた施策を打つことにしたのだ。
それは、まずは発言をオウム返ししてから、求める行動を伝えるというものだ。そしてこれの効き目がエグくて、今正直、昂奮している。
男の子「できた!できたー!まるつけー!」
僕「できたんだね、丸付けしてほしいんだねー、でもちょっと待ってほしいから、この問題解いててくれる?」
男の子「わかったー」←!
素直に話を聞いてくれた!!??ちょっと、わけがわからないくらい、素直だ!しかも、これを試したところ、色々と面白い出来事が他にもあった。
明らかに僕を避けていた子が指導してほしいと言ってくれたり、立ち歩きしがちな子が素直に座ってくれたり・・。
強めに怒ってダメだったことが、するすると叶っていく感覚。そうだよな、誰も血の通ってない、話を聞いてるかもわからない存在の言うこと、聞かないよな。
当たり前と言われればそれまでだが、確かに幼児教育に携わる人って、オウム返しを重視しているような印象がある。なるほど、話を聞いているというサインってことか。
実は聞こえてきた言葉を繰り返すだけなら、そこまで脳のリソースを使わないので、多少ザワザワしている中でも結構実践が可能である。
聖徳太子になったつもりで、彼ら彼女らの話に耳を傾けてみてはどうだろうか。
終わりに。
こういうことを調べたり体験したりすると、低学年が混ざる環境に、行儀よく静かに、人が話すことに全神経を集中させている場面を求めるのって、どうかと思ってしまう。
その人が相当恵まれた環境にいたか、自分の子供時代の記憶を全て忘れたか、色んな現実を知らないかのどれかだと思えてならない。
そういうのにちゃんと付き合ったり向き合ったりすると、心が壊れてしまうので、ほどほどにする方がやっぱりいいと思う。
断言するが、小学校低学年の子が何人もいるクラスで、最初から最後まで完璧に黙々と、数十分以上問題に取り組ませるのは無理だ。
乱れたら終わりではなく、乱れてもすぐに鎮静化できる術を用意する。
そういう方法もあるんだということは、ぜひ知っておいていただければと思う。
では今日はこの辺で。