冬季講習がついに始まりました。全員カリカリしています。そのイライラに染まらないようカリカリしている中元です。ぴえん。
はい。10月末と11月頭に連続したクレーム案件ほどじゃないが、ここにきてまた一つ、重めの案件が飛び出した。
簡単に言えば、僕がバイトに、ある【通達】をしなければならないという具合だ。まぁぼかして言うと、「この仕事、向いてないよ」と伝えなければならないのだ。
雰囲気なのか価値観なのか言葉選びなのか、充てた生徒が次々と「なんかなぁ・・」という反応を返してくる。結構研修も積んだが、どうにも改善に向かわない。
厄介なのは、その講師は”善”という点だ。自分が正しいと思うやり方に対し、あれこれと言われている状態なので、"悪"とは何なのかというテーマにさえ行き当たる。
ただしドライに考えれば、やはりこれだけ「合わない」と言われたら、こちらもそれ相応の処置を取らなければならないのもまた事実。
僕が部門を預かっている以上、この【通告】は、僕に伝える義務があるのは間違いないだろう。自分がそれを言う側になるとは。鉛が胸の底に食い込んでいるかのようだ。
―そんなとき、ある文言が、優しい声とともに頭の中に蘇った。
「神は乗り越えられる試練しか与えないんだよ」
・・そう思って、その観点から、この一連の事件を見つめてみると、不思議と力が湧いてくるのを僕は感じている。
今日はそんなお話だ。
温和と非情のスイングを目指して。
さっきの言葉は、斎藤一人さんのものだ。
何か難しい問題があったとき、それは神様に与えられた、次のステージに行くための試験のようなものなのだという。
そしてそれに間違えれば、何度でも同じ問題が出され、クリアするまで先には進めない。そう考えると面白い、と説かれていた。
―つまり僕に置き換えれば、神様がこの問題を通じて、僕に足りないものを教えてくれているという話になるということだ。
どういうことだろうか。それは、すぐに閃いた。
最近全く隠そうとしていないが、僕は管理者側になりたい。理由は、その方が向いているからだと、最近とみに自覚しているからだ。全体益のためでもある。
そのために数値を出すということは、実際去年達成したのだが、それでは不十分であった。僕が昇進するのに足りない材料は、一体何なのか、一時期確かに迷った。
もちろんドロドロした要素も多分に含まれているとは思うのだが、きっと、僕に経験値が足りないと思われているのが一番じゃないかと思うわけで。
ここで言う経験値は、主に「何種類のトラブルに触れて、解決してきたか?」である。無傷のまま昇進した人間の将来は、暗い。
さて。それで言えば、今年はとんでもない量の経験値を得られた1年であった。クレームは飛んでくるわ、講師変更はあるわ、制御しきれない生徒は入塾するわ。
責任者は誰かわからなくなるくらい、あっちこっちで矢面に立って、射られ。今でも矢尻のいくつかは体内に残っているかのように、苦い記憶となって存在している。
・・・というところまで考えて、ふと気づいた。今回、組織に合わない人間に、たとえ善意だろうが「そう」と通達する憂鬱な場面。
これもまた、昇進したら避けられない責務であり、経験値として得ておかねばならない何かである。
そう、これを持っていれば、「もう一通りのことは学ばせていただきました、そろそろよくないすか?」と堂々と提案できるというわけだ。
となれば、ある種これは必要なピースであり、問われているのは僕の覚悟。そう思えてきた。
すると、今のこの悩みも、憂鬱も、思い切り呑み込んで糧にしてやろうという意気地が湧いてきた。
本物のそれに比べれば笑ってしまうほど弱い【非情】だが、僕に必要ならば、その自分を演出しよう。
嫌われることも、今年学んだ。では次の段階とは、恨まれることだ。そうすれば、確実に僕のステージは上がるだろう。
とってもいい酒を用意してから、この勝負に臨みたいと思う。
ってことでどうでもいい決意表明だったが、今日はこの辺で。