糖分を急速に補給しようと思ったら、多分和菓子が最強。現時点での結論はそんな感じの中元です。
はい。今日は手垢べとべとのテーマについて、ふと私見を言語化できたので、記事にしてみたいと思う。それは、【勉強の効率】についてである。
ここって結構議論が分かれるというか、つまり泥臭くやろうとも、効率重視でサクサクやろうとも、成績が伸びるやつは伸びるから、共通見解とかでないよねと考えている。
しかし、よく考えると、効率重視でスピーディーに勉強を進めることって、取り立てて問題が無いように思えてくる。とはいえ、何事にも裏はあるものだ。
では、それって一体なんじゃろな?こっからは、それについて書いてみようと思う。
ダークサイド1:忘れたら、即詰む。
突然だが質問。あなたの中学校の校歌の、3行目の歌詞は何だろうか。
・・・たぶん、即座にポンと閃く人は少ないと思う。その代わり、歌い出しから思い出すと、自然とそれを言える人は、結構多いのではと感じる。
どうやら人間の記憶とはネットワーク状に繋がっているらしく、ある記憶が想起されると、別の似た記憶も引っ張り出される性質があるらしいのだ。
だから、何かイライラした出来事に遭遇すると、過去の似たイライラする思い出が湧いてきやすいというわけ。納得である。
つまり、一つの知識やテーマについて、何通りも覚え方を用意するのが理想であり、思い出すルートが一つ潰れても、別のそれを経由すればOKということなのだ。
・・しかし、効率化ばかりを最重要項目に挙げて、全力で枝葉末節を切り捨て続けると、いざそれを忘れたとき、もう思い出せないというデカすぎるリスクが存在する。
数学の講師が、公式そのものだけでなく、その証明や導出方法を重視する理由は、多分そこにある。忘れても、作れればいいということなのだ。
サクサク知識が頭に入るのは確かに気分が良いが、もしかしたらその繋がりは驚くほど弱いかもしれない。そこは認識しておいた方が良いかも。
ダークサイド2:代替可能な人材になっちゃうかも。
ここはガチの私見である。基本、幼少期から失敗を知らず、恵まれた環境に育ち続けて、最速最短で人生を成功していく人の話って、ぶっちゃけ面白みに欠ける。
嫉妬と言われればそれまでだが、ハーバード大学を出て国連英検特A級ですといわれても、「でしょうね」以上の興味が湧かないのだ。
そして最終的に到達した【能力】で競うようになると、それはもう超血みどろのレッドオーシャンと化す。肩書や資格など、いくらでも代わりがいるためだ。
つまり、あまりにもスマートに駆け抜けすぎると、結果別の優秀な人に取って代わられやすくなるという弱点があるのだ。
これは今の世の中においては、あまりにも大きなハンディキャップであり、同時に見えづらい死角ではないかと感じている。
・・一方不思議なもので、一度大しくじりした人が、再起をかけて資格取得に挑むといったドキュメンタリーは、不思議と観ていて引き込まれるものだ。
自分とは全然関係ないはずなのに、他者の努力に共感し、勝利にも敗北にも涙する。今はそういう感情の揺さぶりを起こせる【個】が、最強なのである。
これを言ってしまえばおしまいなのだが、みんな出木杉君を求めるし、あこがれもするのに、のび太君の方が人気を集めているのが実際のところである。
試行錯誤や紆余曲折をすればするほど、独自のストーリーが誕生する。この部分は、真似しようがないのである。
そしてそれを作るためには、効率性ももちろんだが、以下に自分なりの仮説と検証を混ぜ込めるかが大事だと思う。
ちょっと抽象論になったけど、ある程度伝われば満足である。
ってことで今日は、尻切れトンボだけど、この辺で。