右手親指に、心当たりのないざっくりとした切り傷ができていて震えている中元です。
はい。新年度の人事もいよいよ煮詰まってきて、僕が次に目指すべきことも、上役との話し合いの上に、おおよそ固まってきた。
つまりそろそろ自分のケツを自分で拭けるようになりそうということなのだが、それによって、僕は僕が守りに入るような生き方にならないか、ちょっと危惧している。
肩書を得た瞬間にそうなっていく先達の例など、本を読めばゴロゴロと出てくるためだ。つまり、僕は大丈夫という根拠のない自信は、通用しないということだ。
はい。別にそれを見据えて、というわけではないが、僕は2~3年前から、あることを心掛けて毎日過ごすようにしている。
そしてそれは、やはり思った以上にポジティブに作用していると感じるわけで。今日はそれについて書いてみる。
十勝五敗で生きる。
書いてあるメッセージの熱さが好きでたまに読み返す本に、【絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きろ】というものがある。
そしてその中の、【十勝五敗の大関であれ】というフレーズが大好きで、もはや座右の銘として、自分の指針にしているところさえある。
色んな解釈の仕方はあると思うが、全勝はそもそも異常な状態であり、それを追い続けると、いずれ大敗すら引き起こす、という意味に捉えている。
自分で意識して負けを作れるか、コントロールできるかという心理面の戒めにも通じる、大変深い考え方だと感じている。
ーでは、僕はこれを、どう意識して日常に取り入れているのか?それが、タイトルにある通り、小さくしくじるというものである。
例えば、自分の中でテッパンと思う授業を、意識して変えるのもそうだ。もっと小さいところだと、買ったことのないコーヒーに手を出してみるのも、そう。
つまるところ、何か新しいことに手を出して、上手くいけばOK、ただ失敗しても別にかすり傷にもならないという経験値を、毎日意識して積み続けるということである。
おかげさまで、失敗とは思い通りにならなかった事象のただの呼び方であり、単にそういうデータが取れただけという風に、軽く考えることができるようになった。
だからやったことがない施策も、失敗したらどうすんだという不安をよそに、超軽い気持ちでやっちゃうことができている。
そこで本当に失敗しても、やっぱり致命傷でもなんでもないので、次に活かすデータとして蓄積する。そして、本当に勝たねばならない勝負は、ちゃんと全力で勝ちにいく。
しかし負けすぎても無能扱いになるだけなので、勝率の方が高いように意識しなければならない。(というか、失敗した経験をちゃんと生かせていれば、基本勝率のが上になる)
そのいい塩梅が、十勝五敗なのである。今日もちゃんと、勝ったところもあれば、負けたところもあった。データとして収集し、分析し、それ以外は忘れればいいのである。
ちなみに。
講師という仕事はお得なもので、失敗した経験は、実はそのまま生徒に話すネタとして転用できるのだ。
十勝五敗を心掛けて生きるということは、つまりネタに事欠かない生き方ということであり、講師業で飯を食うならば、ぶっちゃけマストな意識じゃないかとさえ思う。
軽い気持ちでやってみてほしい。どうせ死なないし、クビにもならないから。
ってことで今日はこの辺で。