ま~だ副反応で身体の調子が奮わない中元です。今日は薬、いっぱい飲もうっと。
はい。今日も今日でオフを返上し、テスト対策の集団授業をブン回したり、溜まっていた個別授業の振替をしたりと、つまり大忙しである。
しかしここ最近、自分のキャパをややオーバーすることが増えて、毎日毎日いくつかの仕事が次の日に繰り越されることが目立ち始めている。ヤダヤダ。
そうなれば自動的に、僕が僕のために使える時間が圧迫され、心身の疲労も溜まり、マジで不健全ライフまっしぐらなのだ。俺は仕事と酒のために生きているとでも?
それはよくない。
ってことで今は、それの対応策を講じて実験している最中であり、そしてその話を使って、今日の記事にしたいと思う。
限界を仮設定せよ。
自分に限界を設定するなというフレーズがあり、その信奉者もたまにいるが、僕はその熱血な考え方を、自分に適用する気はない。
これを無理に信奉して頑張った結果、20代頭で心を折ったことがあるので、自分には合わないことが経験則としてもうわかっているから、ってのがその理由である。
ちなみに僕は、僕の限界値を9~10時間という風に考えている。これは主に、頭を使うとか、身体を動かすとか、要するにアグレッシブな時間の総計の話である。
もちろんこの数値は適当に決めたわけじゃなく、自分なりに検証を繰り返して、ある程度ちゃんとしたプロセスを経て出したものだ。
この時間を超えれば、遊びも仕事も、マジで集中力が散漫になる。こうなってしまえば、仮眠でも取らない限り、僕はもう何もできない。
ちなみに僕は毎日8~9時間寝るタイプだ。だから、集中力が使えない時間が、1日の中に6時間ほど存在することになる。
この時間は休憩に割り振ったり、昔読んだ本の再読に充てたり、無心で散歩したりと、そういうことにちょこちょこと小分けで使っている。
あくまでも、ガチで集中が必要な時間は、それの大なり小なりはあるにせよ、9~10時間くらいだなと感じているという話である。
そこをオーバーすることは、”しない”。
そして、もし仕事なり趣味なりを1日のスケジュールに組み込んでみて、結果9~10時間を超えたらどうするか、だが・・。最近は、その分はしないことにしている。
具体的には、次の日にブン回したり、人に依頼したり、そもそもしなければダメなのかと自問したり、である。
というのも、時間を生むのに一番いい方法は、効率化ではなく、しないことを決めることという教えが、非常によく本なりインタビューなりに書いてあるためだ。
やってみて思ったが、効率化には限界がある。しなくてもいいこと、人に振れることをどれだけ圧縮しても、時間や体力がゴリゴリと持っていかれてしまうのは自明。
行き過ぎたらただサボっているだけと解釈されるおそれもあるので、あくまでも溢れた分のみ、ガンガン振ったり捨てたりしていく練習と思って、ドライに切っている。
体力・メンタルの回復に金を惜しまない。
ついでに、僕は自分を、もう若いとは思わないようにしている。理由は、そう思っておく方が、体力を維持する努力を自分はすると考えているからだ。
そして、自分の体力維持や回復には、結構な投資を行っている。最近サボり気味だが筋トレをしたり、サプリを摂取したり、そういう感じ。
時折よくわからない断酒をして、謎にダイエットをしているのも同じ理由である。一生酒が飲めなくなる未来を避けるため、たま~に健康回復全振りをしているということ。
ここをケチると、年齢が重なってから、それを取り戻す方法や経験がないままに老けていくことになる。当然、見た目も、だ。
イケメンだった同級生が、何人も肥えて、何人かハゲはじめた。彼らには申し訳ないが、現状維持をキープできてよかったと、それを見るたびに感じている。
終わりに。:とりあえず寝たい。
ということで、簡単に言えば、限界を設定した方が余計なことをしなくて済むよねという話である。
もちろんその限界が、3時間とかウンコみたいなキャパだったら考え物だが、基本思った以上に色々できるので、前向きに考えてみてはどうだろう。
メンドクサイのだが、この辺を1日で把握したければ、自分が何かしている時間をストップウォッチで計測し、記録しておくことかなと思う。
はっきりと、大体毎日同じくらいの時間から、集中が抜けていく感覚があるので面白い。そこから先のことは、断捨離すべきことなのかもしれない。
やりたいことを全部やるのもカッコいいけど、それは選び抜かれた才能・熱量・体力の持ち主がなせる業だ。大人しく現実的にコツコツいきましょう。
ってことで今日はこの辺で。