徹底して趣味全振りの休日を過ごした結果、今なんもしたくない中元です。幸福感と何かが等価交換されている・・・。
はい。前にもちらっと書いたが、新しい講師が入った関係で、いっちょ前に僕も研修をする側の一員として、あれやこれやと偉そうなことを伝えている。
そんな中で、【モチベーショントーク】を評価するという、自己を棚の奥底にぶん投げねばできない機会があった。汗顔の至りである。
ただその機会を通じて、僕自身にとっても「おや?」という違和感とか、「なるほど、こう話すとこう捉えられるのか」という気づきが得られた。
ってことで今日は、記憶が薄れる前に、文字に起こして頭から出しておこう。
散文は集中が切れる。
僕は元来人の話を聞くことが苦手なうんち野郎であるため、「あっ、無理」と思ったら、話をきちんと頭に残そうというモードが秒で切れる。
で、今回。失礼ながら、「あっ、無理」と思ってしまったため、その後の話を聞くことに苦戦してしまった。
その理由は簡単で、話が非常に多岐にわたっていたからだ。小説であれば重層的なストーリーは面白いと思うのだが、それを聞くのはしんどい・・・。
色々と語りたいテーマや教え、モチベーションのネタがあれば、全てをミックスして話したいという気持ちは僕もよくわかる。
わかるからこそ、「1回の機会で1ネタまで」ということは、重々気を付けようと改めて思った。
冒頭でしくじると引き戻せない。
当たり前の話なのだが、やはり導入でしくじると引き戻せないっぽい。具体的には、意外性も何もない出だしを始めた瞬間、集中は秒で切れる。
では、冒頭は何が良いのか?彼へのコメントを考えながら、自分の中で"食いつき"が良かった例を必死で思い出してみた。
すると、例えば【質問】から始めるとか、そういったある種のテンプレに当たることをちょこちょこと閃くことができた。意外性は、割と狙って演出できるのだ。
【TED】のプレゼンをまとめた本にも書いてあったし、そのトップクラスのスピーカーを観ていても思うが、導入ですべてが読める人は一人もいない。
出だしこそ、最もエネルギーを使うべき部分なのかもしれない。そう思った。
ストーリーを語れ。
そして最後に白状すると、実は話を聞きながら、「不思議と自分事として染みてこないのはなぜだろう」と思っていた。失礼なのは承知しているが・・・。
終わった後にふわふわ考えていたら、気が付いた。その話の中に、体験談的な要素の一切が含まれていなかったからだ。
いわばビジネス書の教えに当たるところを音読したようなもので、他人の言葉を借りている状態に等しい。なるほど、これだと心に響かないということか。
例え口下手でも、その人個人のストーリーだったり、他者の失敗であったりという物語が入っている方が、聴いている側としては面白い。
山も谷もそんなにない人生を歩んできた僕なので、せめて伝記でももうちょっと読もうかなと、そういうことを思わされた。
終わりに。
ということで、【人の振り見て我が振り直せ】とはまさにこのことであり、教える側に回った方が、なんだかんだで経験値は多いとみて間違いなさそうだ。
彼を鍛えているように見えて、実は自分が鍛えられている機会。研修とは、双方に利益がある場なのだろうと再認識した。もちろん”本来は”、という意味で、だ。
逆にその要素がなければ、研修ではなくはっきりと時間の浪費ということになるため、もし自分が設計する側になったら、かなりシビアになる必要があるのは間違いない。
ということで珍しく真面目なことを書いた記事だったが、今日はこの辺で。