某wawawaの影響でハイボールを飲んでみたところ、そんなに口に合わないことがわかった中元です。苦手かもー。
はい。"BIG BANG"を読み続けて、わけのわからない週にまで到達した。そろそろFFのナンバリングさえ超えてくるところである。
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ただ内容は、和訳版での記憶で考えると、ほぼ佳境も佳境、あと何十ページかそこらのところにまでたどり着いてはいる。それは間違いない。
ってことで、ウダウダ冒頭で言うのも違うので、さっさと本題に入りましょう。
- 5月30日(月) 王手
- 5月31日(火) その後
- 6月1日(水) 続・その後
- 6月2日(木) 残された謎
- 6月3日(金) 無と同じくらい微かな兆しを検知せよ。
- 6月4日(土) 宇宙での観測
- 6月5日(日) とん挫寸前
5月30日(月) 王手
ペンジアスとウィルソンは、CMBを検出したと確信するや否や、それを研究している別人へ電話で報告を入れた。
不思議なもので、電話を受け取ったその人は、まさにCMB検出のための実験について、ランチミーティングを行っていた折だったという。
電話を置くや否や彼らはベル研究所へ向かい、そしてデータを確認。それがCMBであることを発見したのであった。
これはが何を意味するのか。それは、定常宇宙モデルの終焉だ。ビッグバンモデルなら説明できるこの存在を、定常宇宙モデルは全く説明ができないためである。
長年にわたって続いた論争に、王手が打たれた瞬間であった。
5月31日(火) その後
ビッグバンモデルの決定打発見。これは再び、新聞紙面上をにぎやかにし、広く一般大衆にも、そのことが知られることとなった。
フリードマン、アインシュタイン、ハッブルはすでにこの世を去っていたが、ただ一人、このモデルの最初期に関する人物で、これを見届けた人がいる。
それが、ジョルジュ・ルメートルである。そんな彼もこの報告を知ってから1年後、心臓病でこの世を去っている。
ーしかし一方、歴史から完全に忘れられたままの人もいた。それが、アルファー、ガモフの両氏である。
特にαβγ論文の件で自分の存在が消される苦痛を既に知っていたアルファーの怒りと失望はかなりのもので、インタビューされるたびに苛立っていたという。
ガモフも折に触れて「まぁ、自分が元祖やけんな」という主張を繰り返し、名誉の回復に努め続けたのだという。
こうして最も巨大といえる論争にある種の決着がついたのだが、まだまだ宇宙には謎が溢れている。
人の夢は、終わらねぇってやつですな。
6月1日(水) 続・その後
ビッグバンモデルが優勢になるにつれて、劣勢となっていったのは当然定常宇宙モデルとその庇護者である。
ホイルも「創造の瞬間に固執するとか、宗教的な理由だろ」と舌鋒鋭く毒を吐いて、
定常宇宙モデルを修正して発表するなど、ビッグバンモデルを認めなかった。
しかし、少しずつ全体的な勢力図は移り変わり、1980年くらいのアンケートでは、ビッグバンモデルを信じる人が70%弱、定常宇宙モデルが2%ほどだったという。
潮が引くように、静かな終わりを迎えた論争。常々思うが、この辺は天動説・地動説の頃から本当に淡白であり、歴史は繰り返すなあと考えさせられる。
6月2日(木) 残された謎
ビッグバンモデルが優位になったに違いはないが、説明できる謎と説明できない謎が、まだそれぞれ残されている。
例えば、宇宙が永遠の昔から無限に存在しているのなら、夜空を覆いつくす星があるはずであり、夜なんて概念もなく明るいはずというパラドックスがある。
詳しい説明は忘れたが、ビッグバンモデルだとこの説明が無理なく可能、とのことだった。しかし、謎はまだまだ残る。
宇宙の始まりは何か?そこからどうやって銀河や恒星が形成されていくのか?これは現生の、そして後世の課題として、僕が死ぬ頃にも解かれてなさそうである。
6月3日(金) 無と同じくらい微かな兆しを検知せよ。
僕が読んでもチンプンカンプンだったのだが、銀河が形成されるプロセスこそが、ビッグバンモデルにおけるある種の風穴(対抗勢力の反論材料)とのことだった。
ただそれをクリアするには、波の強弱によって砂浜に模様が描かれるのと似た現象があればいい、ということであり、波そのものはCMBという形で検知されていた。
しかし地球上でそれを観測すると、全方位から、一見全く同じものがきているようであった。これでは銀河が構成される理由にならないのだという。
いわば、完全に静止した水に砂を落としても、何も起きないのと似ている。だが、時の科学者たちは焦ったりしなかったそうだ。
観測の精度がさらにさらに高まれば、きっと”ゆらぎ”が見つかるはず。そのゆらぎがあれば銀河団構成の説明ができ、ビッグバンモデルが盤石となる。
この"ゆらぎ"の検知。それこそが、次の世代の大きな課題となったのだ。
6月4日(土) 宇宙での観測
非常に微かで、地上に近ければ感知すら至難の業であるCMB放射の分析。気球を高く昇らせても、その検出に至らなかったことから、次の手が打たれていった。
ジョージ・スムートはその第一人者であり、必ず発見するためにと、宇宙開発に確かな技術を持つグループに、次々と自分の研究を売り込んでいった。
金になるかわからないどころか、成功率さえ著しく低いプロジェクトに、支援者はいるのか?意外なことに、NASAが好意的な反応を示したのだ。
ロケットを用いて、邪魔が全く入らない場所で、精緻な検出を行う。いよいよ規模は、宇宙”での”観測にまで、拡大していくのであった。
6月5日(日) とん挫寸前
いよいよロケットを使用しての計画がスタートするという段階になり、悪夢が起きた。かの有名な悲劇、チャレンジャー号事件だ。(閲覧注意)
これにより、NASAはその安全性や体制に大きな疑問符がつけられ、宇宙開発はある種永遠に封印されようとしていた。
しかし、宇宙への情熱を捨てられない、捨てるわけにはいかない人たちは、再び計画が作られる日を待つことを決めた。
とん挫寸前の夢。これは一体、どうなっていくのだろうか。
ということで今週はこの辺で。