精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【善意の対応】は、めんどくさい前例や言いがかりを生むというダークサイドもあるから気を付けようという話。

楽しみなはずなのに、なぜか「めんどくさい」とも思う行事には、自分の生活リズムが乱れるという共通点があると気づきました。死んだ方が良い中元です。

 

はい。別に最近クレームごとをやらかしたというわけではないのだが、他山の石ということで、社内外のそういう案件を意識して学ぶようにしている。

 

狙いは、独立した後に、全従業員に自分の口でこういった事態への対処法が、マニュアルとして語れた方が良いよねという、そういう下心にある。

 

こちらに非がある場合のクレームは、蔑ろにするのは論外だが、イチャモンレベルのそれを呑み込んでしまうと、多大なダメージがこちらに来ることに繋がる。

 

法外な慰謝料、意味不明なレベルの厚遇、それこそ枚挙に暇がない。寄生バチのような存在を抱えてしまうコストは、エグいほど高くつくのだ。

 

例え後々にSNS等で★1つとかをつけるキャンペーンをされようと、徹底して要求を呑んではならないこともある。身に染みて感じる事例も、ないわけじゃない。

 

だが、クレームについて勉強していく中で、ふと自分にとっての盲点に当たる箇所に気付いた。

 

その盲点とクレームは、一見結びつかないのだが、実は影の部分で完全に繋がっており、一方が一方へいつでも変貌することもあり得るという罠が潜んでいるのだ。

 

だいぶ抽象論めいた出だしになったが、今日はそれがテーマである。

 

 

【善意の対応】をやっちゃダメな理由を言えますか?

 

皆さんの会社は、【善意の対応】を推すだろうか。例えば、遅れてきた生徒に対し、授業時間を遅延して対応するとか、授業時間外に無償で質問に延々と答えるとか。

 

個人的には、それは徹底推奨した方が良いという空気感を、社会全体でひしひしと感じている。スタバの美談とかを見ても、そう思う。

 

だが個人的には、美談はあくまで美談であり、おいそれと認めるべきではない対応という風に確信している

 

理由は簡単で、その前例に付け込まれるリスクが生じるからだ。例えば、「あの子はやってくれたのに、ウチの子はやってくれないんですか??」という風に。

 

こんな風に、【善意の対応】は、それはそれで尊いのだが、そこを悪用する人に【クレーム】という形で利用されるという危険性も内包する。

 

そうして気づけば、1人が行った【善意の対応】が、組織全体のメンバーを対象に、あらゆる顧客へ強制されることになるのだ。

 

少し話が反れるのだが、日本史でも似た事件がある。アメリカに対し最恵国待遇を認めた結果、ずるずると他の国とも不平等な条件で条約を結ぶことになったあれだ。

ja.wikipedia.org

 

このとき、江戸幕府はおろか、日本全体が被った被害を考えると、その後に国が荒れたのも無理はないと思えてくる。

 

善意の代償は、個人間での貸し借りに留まらず、ビジネスにおいても感情を割引いて意識を向けておきたいダークサイドだと言って差し支えないだろう。

 

【善意の対応】を過剰にしないための術とは?

 

これらを踏まえて、どのようにして会社を、従業員を、そして自分を飼い殺しにしないようにすればいいのか。

 

色々事例を調べてみたが、恐らく現時点では一手しかない。質のいい研修や勉強会を定期的に行うことだろう。

 

例えば、クレーマー役とそれを受ける役を、ロールプレイ形式で実演する。非常に胸糞悪い時間になるだろうが、その経験値の有無は、大きな差を生む

 

実際去年は大きめのクレームを二発食らったのだが、そのうちの二発目は結構な序盤で「あーぁ、めんどくさ」という他人事の感情が湧いてきた記憶がある。

 

自分にとって未知の経験は、ただ【未知】というだけで、実態以上に恐怖が膨らんでいく。さながらバブルである。バブル恐怖とでも名付けようか。

 

バブルを収束させるには、冷静に実態を理解することがカギである。土地にそんな価値はないと誰かが気づいたみたいに、恐怖はそこまでデカくないと気づけばいいのだ。

 

実をいうと、怒っている人を見ると最近は自動的に「犬が吠えている映像」が頭に流れるようになったし、「電話越しなら殴られないよな」と冷静に思うようにもなった

 

それはとにもかくにも、実際にクレームをつけられて、感情的に激おこな人と相対した経験値を積んだことがきっかけに他ならない。

 

中小企業ほどここが手薄であり、だからこそ付け込まれる印象があるようにも思う。滅多にあることではないのだが、年イチくらいでは起こるので、勉強会は必須だろう。

 

ロールプレイが気恥ずかしいのであれば、持ち回りでそういった勉強会を開くだけでも全然違うと思う。

 

僕も勝手に、そういう授業をいずれ提供すると仮定して、しばらくは事例と対応策を自分なりにまとめておこうと思う。

 

ということで、途中から少し迷走した感はあるけれど、今日はこの辺で。

 

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