精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

最強の塾講師はやっぱり・・・・【いいサイコパス】だよなぁと、すごく思う。

学校や塾、ご家庭であるあるの問答は、20年以上前から変わらないと感じる。例えば宿題をあの手この手でやってこない生徒とのバトルなどなど、だ。

 

ここをどう説得し、完遂させるか。ここをナァナァにすると、指導自体に意味が無くなり、月謝を頂きながら成績向上を果たせなくなるので、つまり評判が落ちる。

 

生徒の「したくないんだよ!」という嘆願を如何に無視して、やらせるか。ここは担当講師だけじゃなく、その場を管理する人間の腕力にも大きく関係すると感じている。

 

こういうときは先行事例研究ではないが、他塾の校舎長のやり取り・実践例を調べるようにしている。今日も常習犯の対策について、色々読み漁っていた。

 

そして実際に評判がいいところの塾長さんの取り組み方・声掛け事例を読んでいると、そこに共通する”あること”に気が付いた

 

それが表題通りのことで、最強の塾講師って大体皆【いいサイコパスだよね、という悟りである。今日はそんな話を書いてみる。

 

 

まず、「いいサイコパス」とは何か?

まずそもそも、【いいサイコパス】とは何か。サイコパスに良いも悪いもあるのか。そこから定義したい。まずこの言葉自体は、以下の本に出てくる。

手元に本が無いため雰囲気の話になるが、要は「サイコパスゆえに持つ特徴を上手く活用し、世の中や組織に貢献できるタイプ」ということになる。

 

例えばサイコパスと言えば、なんか人を容易く殺せるとか騙せるとか、冷徹な判断を簡単に下せて、時には息をするように裏切りもするという行動が頭に浮かぶように思う。

 

これらを一歩引いて考えると、自分や他者の感情を完全に切り離せるとか、自分の利益に強く集中できるとか、そういう強みが浮き彫りになる。

 

それらに対しトコトン正直になると、唯我独尊・傲岸不遜になり、結果組織でも浮いてく存在になってしまうが、これらを機能として制御できれば、無敵の存在だろう。

 

こういう風に、持って生まれたサイコさを武器として世を渡っていける存在こそが、【いいサイコパス】と思ってもらえれば差し支えないと思う。

 

例えばジェームズ・ボンドなんてのは、正義のヒーロー感こそあるが、容赦なく敵を射撃したり、国からの命令に忠実に従ったり、確かにサイコな面もそこに見え隠れする

 

どんな特性も使い方次第。つまらないオチになっている気がするが、それが真理なので仕方ないと思う。

 

「いいサイコパス」≒「優れた塾長」≒「傑物のヤクザ」

 

さて。そのことを踏まえて上記の本の著者が提案していたのが、サイコパスが持つ強みを後天的に意識・訓練して身につけよう、というものだった。

 

実際これはある程度まで可能だとされており、例えば瞑想修行を積んだ仏教徒の脳の働きは、サイコパスのそれと似ていたのだという。(自他の感情を俯瞰できる等)

 

また、極端な例だが、優秀なヤクザの方々の交渉術や人心掌握のための言い回しなどは、幹部以上の傑物となると、驚くほど似通ってくるのだという。

 

意識的であれ無意識的であれ、感情を割引いて、目的と現在を最速・最短で繋ぐ強力な方法を躊躇わず使うためには、どこかサイコな考え方はマストなのかもしれない。

 

ここで、宿題忘れを例にした一つのやり取りを、ざっくり紹介したいと思う。宿題の目的は何かというと、色々考えられるが、本音と建前に分けられると感じている。

 

建前で言えば、「家で学習する姿を見せる」「復習を通じて成績を上げる」「学習時間を確保する」というところだろう。

 

ただ本音は、「宿題でもなんでもいいけど、授業以外の時間でも勉強してもらわないと、成績が上がらないからウチの評判上がったりだよ」というのも少なからずある。

 

そのことを考えれば、その生徒が忙しいとか、勉強が大嫌いとか、家だと集中できないとか、死ぬほどどうでもいいということになる。

 

金が無いとか仕事が無いとか親が病気とかどうでもいいから、耳揃えて利息分つけて借りたモンを返せと詰め寄るアレと、構図は結構似ていて面白い

 

となれば宿題というのは手札の一つに過ぎず、如何にして授業時間外に勉強をさせるか、という一点に集中した方が、ゴールとして正確だ。

 

実際とある塾長さんは、宿題忘れ常習犯の生徒に(笑顔で)こう詰め寄っていた。

 

「家ではやれないってことよな。じゃあ、授業日とは別の日にここにきて宿題をする日を作ろうよ^^」

 

という感じ。まぁ、大抵は拒否されるだろう。そんなものは織り込み済みなのだ。そこで、OKと言えばヨシ、NGならこう切り返すそうだ。

 

「じゃあこれがイエローカードの1枚目。次やってこなかったら強制ね^^」

 

ここは首を縦に振るまで引き下がらず、言い訳も無視して、この質問にイエスかノーをきっちり取るそうだ。ガッツリと言質を取りに行く辺り、プロという感じがする。

 

そしてちょっと怖いのだが、忘れたうえに塾にも来ないというムーヴをぶちかましたら、最後のカードをいよいよ切る

 

「もう最後通牒も無視されたんで、忘れたら居残りね。あ、学校に忘れた場合も同じだから^^」

 

―そしてこっそりと、ご家庭への根回しも行う。こういう事情で居残りがあって、終わり次第連絡しますんで、それまでは送迎に向かわれなくても大丈夫です、と・・。

 

事前にこうやって手を打っておけば、「いや、今日は用事があって・・」という言い訳も即座に切り捨てられる。情が一切介在しなければ、やり取りは自然とこうなる。

 

これを読んだときに頭に浮かんだのが、昔読んだこのシリーズに似ているなぁという感覚だ。

損を最小に、得を最大にする術をシビアに考え続けると、自然と言い回しや駆け引きの態度、覚悟は高水準のところに練られていくのだなと、そんな風に納得した。

 

そういえば、サイコパスに学ぶ成功法則には、面白い自問自答が載っていた。

 

「今自分が採りたい行動を邪魔している感情は何?そして、それが無かったら、あなたはどうする?

 

・・・・この問答が超高速で、無意識に行われているのが、いいサイコパスなのではないか。僕の仕事へ向き合うスタンスとして、意識した方が良いのではと、改めて感じる。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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