精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

創りたい塾を考える Vol.8 【『集客』という課題が強大すぎて泣きそう】

ここ最近毎日20分は瞑想に取り組んでいるのですが、最近明らかに気持ちの切り替えが早くなりました。アマチュア僧の中元です。

 

はい。今日はなんかしらないが個別授業が1つ休みになったので、最近手を付けられていなかった事業計画書を一気に書き進めてみた。


テンプレートに合わせて、頭をねじりあげながら一つ一つ、歯が浮くような言葉も時に織り交ぜながら、ビジョンだなんだと書き込んでいく。

 

時には必要なデータを、出店予定エリアの自治体HPから引っ張ってきて、それを数式で分析し取り出そうともした。(結局とん挫)

 

そうやって自分なりにあれこれ調べていく過程を通じて、多くの方々が口を揃えて仰っていたある問題点が、想像の何十倍も強大だとわかり、実はもう泣きそうである。

 

正直、一体何からどうやって手をつければいいのか、本当に五里霧中状態だ。ということで今日は、タイトルでバラしているけど、その問題をテーマに記事を書く。

 

 

【集客】とは圧倒的な才能か、莫大な努力か、その両方の結晶。

 

【集客】をナメるなという記事を最近読んだ。ナメているつもりは毛頭無いのだが、傍から見れば、ナメていると見えても仕方ないと思えてきた。

 

例えば、やり方を少しでも間違えたり、雑にやったりすると、10人・20人どころか、1人だって集まるわけねーなと、今は本当に感じている

 

何ヶ月も前からあることをやると決めて、それに対して熱をどんどん高めていくように導火線を丁寧に設計して、やっと1人、2人が集まってくれる世界。

 

今、自分で自分の塾を創る段階にきて、その難しさ、大切さが、身に染みてよくわかるようになってきた。だからこそ、泣きそうなくらい絶望しているのだ。

 

もちろん今までも、自分なりに工夫した点はあるが、僕なりに上手に設計したつもりであっても、狙った集客が取れた例は、今のとこ5回やって1、2人である。

 

やはり、行き当たりばったりの集客で人が来ないことなんて、自明のことなのだ。ただ、認識していても、僕自身がなかなかそれを脱却できないのはなぜか?

 

簡単に言えば、行動を起こすのが遅すぎるということ。もっと言えば、本来必要な時間の感覚が、実際のそれと驚くほど乖離しているという話なのだ。

 

体感だが、自分が思ってる3倍ぐらいの時間をかけなければ、【集客】に関して及第点すら取れないだろうと考えている。

 

どんなに効率的な方法を使っても、半年ぐらいはかかる。こんな長尺の計画を作る経験は、基本人生でやらない。だから、その時間軸を思いっきり見誤りがちなのだろう。

 

しかしこのことは、冷静に考えたらすごく当たり前の光景である。例えば、とあるゲームの制作発表が行われてから、その発売に至るまでを考えるとわかりやすい。

 

確かに、どんだけ短くても半年は掛けて、情報を小出しに伝え、開発ブログを立ち上げて、節目節目でストーリーの一部を公開する。入念な導火線がそこにはあるのだ。

 

発売直前になっていきなり告知しても、誰も買おうとは思わないのだ。それができるのは、既にコアで熱量が高いファンを大勢抱えている人だけである。

 

【集客】をナメることなかれとは言われるが、それを頭で理解しても、実際に行動で示してデータを集めることは極めて難しい。

 

生徒会とか経験するべきだったかなと、今更少し悔やんでいる。

 

だからこそ、ルールを理解して、仮説・検証を繰り返し、知見を貯める。

 

だからこそ特に今必要なのは、きちんと設計したうえでの広報、その経験値だ。ただし、これを仕事で行う場は、かなり限られている。

 

例えば友人との集いを企画したり、別ブログで何かしらのネタを実施したりと、自分が持つコネで、上手いことやっていく必要があるんじゃないかなと考えている。

 

なんだかんだで自分が創ったり、属したりしている場は、3~4つある。それらを活用して、他人が得られない実験を行って、経験値を稼げるのは、自分の強みだなと思う。

 

取り組むべき課題が強大なのに変わりは無いのだが、その姿がはっきり見えた今、色々と打つ手を考えられるので、また前進である。

 

終わりに。:リーダーにしてもらえないから、なる。

 

「責任者にしてくれ」というのを言い続けて、何年も叶わずここまで来た。もう、なれない。ならば、なる。それだけである。もちろんそれは、最終目的ではないのだが。

 

まあ、人から見れば頼りないとか、カリスマ性に欠けるといった謎のポイントが原因で、ここまで続いたと思うんだけれど。

 

カリスマ性とか剛腕といった耳触りの良い場当たり的な行動のみが結果を生むのならば、理想のリーダーとはいい加減な人と同義になる

 

しかし、現実はそうじゃない、と。だが、リーダー神話に染まった現代社会は、そういう人ばかりを選び、結果として幸せな人が減っていく罠にあると本で読んだ。

 

もう待ってられないという話は前にも書いた。だからこそ、本当に今勉強しなきゃいけないことに集中して、知見を集めなければ、間に合わないのだ。

 

ちなみに今は、様々な広報の失敗事例をとにかくかき集めて、それを抽象化し、そのポイントを狙って回避することはできるレベルを目指している。

 

ということで、今僕が一番泣きそうになっているのは、今まで自分の考えが甘々だった集客と、そして広報という問題の巨大さに対してである。

 

しかしながら、このテーマについて、はっきり言って厳しくやってる人がほとんどいないからこそ、ここに勝機を見出すという考え方もできるよな、と。

 

確かに厳しい山ではあるが、その向こうに広がる空は晴れている、みたいな皮膚感覚はある。

 

シビアな状況に変わりはないが、どこか楽しむという前向きさも忘れず、頑張りたいと思う。では今日はこの辺で。

 

 

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