精神年齢9歳講師のブログ

"よいこ"から程遠い目線から、授業のネタ、講師としての日々、そしてたまには教育や子供について、真面目なことを基本毎日書いてます。

【2022年前期】塾講師がガチで勉強してよかったと感じる事柄を、3つほどご紹介します。

ハイオクの語源は、「ハイクオリティー」をひっくり返した・・・とかじゃなく、「ハイ・オクタン価」の略と知って心が躍った中元です。(で、オクタン価ってなに?)

 

はい。塾講師という職業病なのかもしれないが、何かしらのテーマを設定し、一定期間はそれについて勉強するということを、ここ数年続けている

 

資格試験のためでもなく、授業のためでもない。単に自分が「なんで?」と思うことの正体を知りたくて、そうしているという感じだ。

 

時には学習が数日で終わり、「実り、なかったなぁ~」という結果になることもあるのだが、「うわ、知ってよかった」と心の底から感動することもまた、ある

 

今日は2022年前期において、勉強してよかったと感じるテーマを、3つほど紹介しておこうと思う。

 

 

おカネについての考え方。

 

「おカネって何か?」という問いについて、自分なりに気の利いた回答が閃かなかったことがきっかけで、改めて学習してみたのがこのテーマだ。

 

色んな本をザッピングして、貨幣の歴史についてもちょっと調べて、そのうえでようやっと腑に落ちて理解したのだが、やはりおカネはただの交換ツールである。

 

そしていわゆるおカネ持ちという方々は、先代から相続したとかじゃない限りは、嫌な人なんかじゃなく、単に付加価値を乗せて交換を繰り返すプロということなのだ。

 

実際、周りにいる豊かな人は、驚くほど腰が低いし、こちらに【感動】という経験も与えてくれる。単にご飯をおごってふんぞり返る、なんてことは絶対にしないのだ。

 

「どうすれば、相手が気分良くなってくれるか」「しかし、どこから先は自己犠牲になるか」という目線に極めてシビアな方々こそ、僕が思う成功者に近い。

 

実際、「お金で愛は買えない」と言われるが、それは直接的な交換として不可能という話であり、使い方を工夫し続ければ、ゆくゆくは愛にたどり着く可能性もあるわけで。

 

おカネの可能性と、危うさと、妄信することの愚かさを強く学べたので、やはりマネーの勉強は非常に大事だと改めて思う。

 

Ghost of Tushima (と、それによるエンタメの裏話)


圧倒的な作品が作られるために必要なのは、僕は圧倒的な才能を持ったクリエイターの存在だと思っていた。確かにそれもあるのだが、実はそれだけではなかった

 

Ghost of Tsushimaに熱中し、10日くらい寝る間も惜しんで没頭した時期がある。シナリオを全てクリアした後、特典のインタビューを見た際、この考えが変わったのだ。

 

膨大な設定資料。込められた熱い思い。そして、圧倒的な才能。その全ての結晶こそが、あの傑作だったのだ。

 

鎌倉時代の地理、当時を生きた人の思想、外国の文化、背景、そしてゲームとしての面白さを違和感なく盛り込むための工夫。気が遠くなるほどの努力の結晶である。

 

このことはよく考えれば自明のことで、だからこそゲームをクリアするたび、長尺のクレジットが流れてくるのだ。気づかなかったことがアホにしか思えない。

 

そうやって莫大な努力を注ぎ込んだ作品は、方々に語られるほど魅力的なものとなる。そしてやがて、唯一無二の存在となる。

 

作品が完結しても、物語は続いていくのだ。そしてこれこそが、エンタメの真髄だと知って、何か震える心地がした。

 

月とすっぽんくらい違う話なのだが、僕ら塾講師の売り物である授業もまた、ある種創造性が求められるという意味で、エンタメと同じジャンルの話なのだ。

 

僕は頭でっかちwとよくからかわれるのだが、インプットに傾ける努力はこういう風に結実するということが身に染みてわかった今、それに対して迷いはなくなった。

 

これからも大量の知識を頭に入れつつも、それを圧縮して、授業なりブログなりにまとめて形にする。

 

「膨大な思考を立体的にして厚みを増していく」という境地に近づけるよう、日頃から頭を使い続けていこうと改めて思った。

 

自己愛型人間の思考。

最後だけちょっとシリアスな話だが、実は身近なところに、びっくりするほど自分主体の人がいる。

 

数年前はそうでもなかった(あるいは気付いていなかった)のだが、ここ最近はそれが露骨で、迷惑をこうむる場面が割と増えてきたわけで。

 

もちろんそんな状態を放置するわけもなく、色んな人がその人に対し声掛けをするのだが、これまた驚くほど効き目が無いし、何なら反発さえするほどである。

 

一体何がどうしてそういう思考回路になったのか?という答えが知りたくて、色々自分なりに調べた結果たどり着いたのが、【自己愛型人間】というキーワードだ。

 

慄然としたのだが、自分のことしか考えない人は、それが正解で正義だと、本気で信じ込んでいる傾向があるらしい。

 

他者は自分のために働いて当然で、誰かの頑張りを自分のものにすることは普通の話で、自分の都合のいいときに他者をこき使うことも、自分なら許される。

 

吐き気がするほど幼稚なのだが、実はこういった思考の人は、メンタルのある部分が幼稚なままとどまっていることが原因という説もある。

 

となれば、その部分が成長しない限り、こちらのあらゆるアプローチは絶対に響かないということ。つまり、期待するだけ、言うだけ、全てが無駄なのである。

 

―ところで、こういう自己愛をこじらせていると思える対象は、何も大人に限らない。結構生徒にも、該当する特徴を持つやつは多い。

 

間違えたくないからと、問題を解かない。InstagramTwitterを頻繁に更新する。異常なまでにアイドルなどを応援する。

 

これらすべては自己愛に加え、ある心の奥底にあるコンプレックスの裏返しだったりする。となれば正直、週1~2回しか会わない僕にできることなど皆無である。

 

そういう風に、人間心理について勉強すると、一気にストレスが減ったのを実感している。自分にコントロールできないところなど、気にするだけ無駄なのだ。

 

皆様もぜひ、理解できない他者の言動などを細かく勉強してみてほしい。きっと、「あ、もう、この人ダメだ」と割り切れるから。そして、それでいいと思う。

 

終わりに:五科目だけが勉強じゃない。

 

よく、「勉強をなんのためにするのかわからない」という質問が来る。実はここには、ある前提が隠されていると考えている。

 

それは、「(学校の国数英理社の)勉強をなんのためにするのかわからない」という感じだ。それについては、実は僕も同意する。

 

教科書に書いてある内容そのものはどうでもよくて、それらを頭に入れることで磨かれる思考法が大事・・という話はどっかで書いた。

 

ただし、自分が知らないことを仕入れる作業としての勉強は、必ず要る。これなくして、一体何者になれるというのだろう。

 

だから僕はこれからも、知らないことがたくさん存在する自分を肯定するし、そういうことを勉強する時間を大切にする。

 

ってことで、今日はこの辺で。

 

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