そろそろ中学校は修学旅行ですが、台風に向かっていく形になるのがいたたまれない中元です。まあ僕も、実は小・中連続で、台風下の修学旅行でしたけど。
さて。生徒に発問をするときなんかは特に、「生徒の自己肯定感を絶対に折らないこと!!」、とよく言われる。これについては僕自身も同意だ。
だからこそ、生徒に質問する際も結構気を配るし、もしかしたら言い過ぎたかもと思うようなことがあれば、かなり落ち込む日もあった。
それくらい、生徒の自己肯定感をへし折らないようにすることは大事であり、もっと言えば【恥】を恐怖と思わせてはならないことは、肝に銘じておくべき話だと思う。
―しかし中には、そういった恥の気持ちを原動力に変えて努力してきた人もいることだと思う。彼らにとっては、まず恥の気持ちを与えることは正義になるのだ。
だからこそ、「自己肯定感を毀損してはならない!」という話が、そのままでは腹落ちしないのかもしれない。
ということで今回は、「自己肯定感」が損なわれた状態で社会に出ると、一体どんなデメリットを生徒が被るのか、少し残酷な話をしてみたいと思う。
今日はそんなテーマで、以下つらつらと書いていく。
ナルシストの仮面を被りし存在。
自己肯定感を拗らせた人たちは、一見すると不思議なもので、自分のことが嫌いだとか、自信が無いということを、露骨に表現することがそこまで多くない。
例えば、発問を促しても頑なに言わないとか、間違えるのが嫌でそもそも問題に答えようとしないといった、わかりやすい行動もあるが、大抵はもっと巧妙で正反対だ。
そのやり方とは、自分を世界の中心だと考え、それを根拠に他者をコントロールしようという思考・言動である。
人はこれを【ナルシスト】と評価するが、実際はその逆、「自分に自信がなく、恥をかかされることが何よりも怖いこと」の反動かもしれないのだ。
一番わかりやすいのが、自分の過去の良かったことや、有名人と繋がりがあることを繰り返し自慢するあの面倒な状況である。
これに付き合わされると、時間を泥棒されたかのような胸糞の悪さを抱く。だが、自己肯定感を損ね続けると、あなたが教えている生徒がいう側になるかもしれないのだ。
この辺りには、ぜひ知っておいてほしい悲しいメカニズムがある。それは記事の最後に参考文献として紹介しておくので、読んでみることを推奨する。
他人に”あれ”さえ譲り渡す。
自己肯定感が欠如することによるデメリットは、もう1つ大きいのがある。それは特に自己愛の強い人に対してなのだが、人生を渡してしまいやすくなるのだ。
言うなれば、自己肯定感が欠けている人、あるいは自己愛が強い人は、別の自己愛が強い言動をする人に、すごく強く惹かれがちなのだ。
その人の側に寄り添い、その人の全てを肯定し、その人を否定する人を否定し、その人に認められることを至上の喜びとする。
そして気づけば、その人に人生を乗っ取られている、と。そんな恐ろしいリスクが、自己肯定感を損ねることには潜んでいる。
ここだけ切り取れば、そんなバカな話は無いと思えてくるのだが、実際のところ、これはかなり普遍的な話である。
「俺は凄いんだぞ!」ということを声高にアピールする"だけ"の人は、見る人が見れば全く大したことが無い。僕自身もむしろ苦手なタイプである。
しかし、自分に対してすごく自信満々で、「誰よりも優れてるんだぞ!」という自慢を厭わない人は、実は最初だけ、非常に好意的に思われることが多いそうなのだ。
ただしその消費期限は極めて短く、数回のコンタクトの後には化けの皮がはがれて、「あいつは信用できん」という評価に変わることも多いと言うが・・。
とはいえ中には、そういった方々に心酔し、尊敬や羨望の念を抱く方々もいる。その人たちの共通点は何かというと、大抵は自分も強い自己愛型か、自信がないか、なのだ。
そういった自分の憧れる人たちがのし上がっていくことで、自分のステータスも上がると錯覚し、そこに幸福感を覚える。
それはもはや、そういう人たちに人生を乗っ取られたのと同じだろう。自己肯定感を損ねて、それが拗れれば、こんな悲しい生き方に繋がることもあるのだ。
・・・ちなみに、生徒の自己肯定感が欠如しているかどうかは、事前に察知することは不可能ではない。ある一定の予兆があるからだ。
最後は、それについて書いて、終わりとする。
”推し”と同一化したら危険。
自己肯定感を失いつつあるのかどうかは、どうやって察知すればいいのか。さっきも書いたが、発問や問題に対し、間違えることを恐れて答えないというのも一つだ。
しかしこれは、実をいうとこの言動はかなりわかりやすい方であり、むしろここまで深まっていると、ちょっと重症と考えていいかもしれない。
出来ればもう少し手前で防ぎたいところだ。では、その"手前"とは何なのか?
それは、アイドルでもインフルエンサーもなんでもいいのだが、もはや異常な熱狂と評してもいいほどの何かを、特定の”推し”に対して注いでいることだ。
例えば、中学生なのに万単位の額をその支援につぎ込んでいたり、”推し”に悪口を言われると猛烈な勢いで怒ったりとか、その辺が異常かどうかのラインになる。
ーではなぜ、こういう他者への熱狂が、自己肯定感が足りないことのシグナルになり得るのか。もちろん全員が全員そうではないと先に念押ししておくのだが・・・。
その人が評価されることを通じて、自分も評価されているという感覚を味わいたいからという深層心理が働いている可能性があるためだ。
自分が応援している存在が、他者から評価され、さらに高みを上っていくのを支え続ける。
すると、その人を応援している自分もまた、特別なんだという感覚を覚えるという。ここだけ切り取ると闇が深いのだが、あくまでも熱量が異常な場合の話だ。
ほとんどの場合だと、ここまで熱量を込める方が困難だ。だからあくまでも、一つの指標程度で、割り切っていただければと思う。
ということで今回は、自己肯定感を損なわないというアドバイスに対し、損ない続けたら最悪どうなるかというテーマで記事を書いてみた。
もしゾッとされたのなら、生徒への発言の一つ一つには、改めてきっちりと意識を向けることを心掛けてみてほしい。
では今日はこの辺で。
参考図書。