精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

人生の道を開きたければ、【人望ある人がやっていること】を勉強し、実行するのが一手だぜ!!

毎朝もうちょっと時間が欲しいので、1週間酒とバイチャすることを決めた中元です。あまりにも謎でしょうもないトレードオフ

 

はい。大人になって久しぶりに勉強したいと思うなら、【健康】がオススメという話を書いたのだが、たまたま別件で、もう1つコスパがいいテーマを発見した。

 

それは、書いていて少し打算的な響きがして恥ずかしいのだが、【人望ある人がやっていること】である。

 

このテーマを勉強し直そうと思ったきっかけは、独立に際し、人間臭い部分で支持を得られなければ絶対に死ぬと危機感を抱いたためである。モテたいとかじゃない。

 

そうすると、色々とイメージと違うことが見えてきた。例えば、いわゆる人望・人徳がある人というのは、自己犠牲とイコールでないことが大半、とか。

 

あるいは、自分のリソースの持ち出しについて、付加価値をつけることが異常に上手いとか、そういう話である。

 

そしてこういった人望・人徳に直結する言動は、天性の才能というより努力の賜物であり、人間心理に機敏に反応できる心構えが無ければ、再現不可能だとよくわかった。

 

僕自身、ここのスキル修得は急務だと思ったので、「今週やること」などをノートに書きなぐりつつ、読書を進めているところである。

 

ーってことで、既にだいぶネタバレをしちゃったのだが、ここからさらに、このテーマを学んだ方がいい理由について、ウダウダと書いておこうと思う。

 

 

人徳や人望がある人は、他者に対する想像力がとても強いということ。

 

さっきも書いたが、例えば「人心掌握術」みたいな書き方をすると、途端に胡散臭さや小手先感、あるいは打算で人間を操作しようというにおいを感じる人がいる

 

かつての僕自身もそうであり、どうにも相容れない感想を持ち続けていたのだが、最近はきれいさっぱりその辺の偏見が取れている

 

冷静に考えれば、人徳や人望がある人がそうである理由は、他者に対する想像力が桁外れに強いからではないかと考えているためだ。

 

何をすれば、人が喜ぶか?感動を生むか?そしてその感動を伝播してくれるか?そういった無理難題に対し、仮説と検証を繰り返し、その経験値を蓄積する。

 

その結果があの言動であり、その成果があの支援だと考えれば、むしろあの人たちは狙って人を幸せにできるということでもある。となればただただ尊敬するしかない

 

有名どころだと、この辺りの機敏に厳しい人で言えば、田中角栄大隈重信・齋藤一人・見城徹といった錚々たる方々の思想を学ぶと、ひたすらに圧巻である。

 

一体どこまで深いところまで考えているのか、具体的なエピソードを読み耽るだけでも非常に有益である。学習テーマとして極めて優れていると言って差し支えないだろう。

 

自己犠牲と人徳はまるで違うことにご注意を。

 

ただし、表面上だけこの辺を勉強すると、極めて危険なマインドセットが整うことがある。僕自身も20代前半は、これのせいで結構苦労したほどである。

 

それは何かというと、人を喜ばせるための言動を、自己犠牲と混同するということである。

 

例えば、人の仕事を肩代わりし続けるとか、無条件にご馳走しまくるとか、あらゆる依頼をイエスマンで受け付けるとか、そういう感じ。

 

そしてそれによって、どこか心に辛いところがあれば、確実に自分を犠牲にしているだけである。

 

もっと容赦なく言えば、それは他者に、あなたを好きに搾取させているだけである。ここを履き違えると、疲弊するだけでなく、周りにナメられるから超厄介だ。

 

例えば、毎日ご飯を作ってくれるお母さんに感謝の気持ちを忘れ、たまに作ってもらえないと不満が何故か溜まる、あの感じに似ている。

 

ひたすらに与え続けると、不思議なもので感謝の気持ちが相手から消え去り、当然という認識にすり替わるのだ。この人間心理は、絶対に知っておくべきである。

 

自分の施しは、自己犠牲になっていないか?

 

この自問は、絶対に欠かさず行うようにしよう。

 

では、一体人望・人徳を集める人の基本とは、どこにあるのか?

ところで、そうやって脅したところで拍子抜けする話なのだが、実は【人望・人徳のための投資】と【自己犠牲】に線を引くのは、結構簡単な話である。

 

それは、相手からの恩は必ず返すこと、そして自分の貸しは必ず回収することである。ただしいずれも、満額ではなく、3割程度に押さえておくのが要らしい。

 

例えば、10万円もらったら、3万円のプレゼントを渡す。10万円分支援したら、3万円分は返してもらう。そういう意識が大切なのだ。

 

与えるばかりだとナメられるし、自己犠牲になる。とはいえ、貰うばかりだと、相手の言いなりを通り越してペットのような存在にガタ落ちする。

 

実際、色々な人のエピソードや思想に触れたが、大物と言われる人ほど、本当にこういった、ウェットな部分たる貸しと借りには厳しいことが伺い知れた

 

余談だが、そう考えると、日本に組み込まれたお中元というシステムが廃れないのも納得だ。これは相互の貸しと借りを調整する、優れたバランサーといえるためである。

 

―他にも、【基本】に当たることは、驚くほどマジで基本であるため、むしろ知らなければ知らないほどどれだけ損をしていることかとゾッとする。

 

一例を挙げると、以下の通りになる。いずれも、びっくりするほど「いや、当たり前でしょ・・・」という話のはずだ。

 

① 他人の手柄を取らない。ただし、責任は取る。

 

② 広めたい規範は、自分がまず率先して実行する。

 

③ いい意味で期待を裏切ることを常に心がける。

 

④ 相手に興味を持つ。

 

⑤ 付加価値をどれだけつけられるかが腕の見せ所。

 

⑥ 小さな約束も絶対に守る。

 

⑦ 相手の時間・カネ・労力をむやみに奪わない。

 

・・・ただ、これらすべてを無意識に実行できていると、胸を張って自分に問うことができる人はどれくらいいるだろうか。僕は口が裂けても、まだ無理だ。途上である。

 

だからこそ、底に小さな穴が空いた樽の如く、僕はどこかで、なけなしの信頼とかを失っているような気がしてならない。今一度、キチンと自戒しよう・・。

 

逆に言えば、これらをうまいこと自分の思想に移植できれば、僕はまだまだ伸びしろがあるというわけだ。30代にして、「器」に目を向けるとは。

 

伝記を読んでいても、少し違った観点から読むようになってきた。ここにきてまた一つ、読書と勉強が楽しくなってきましたわい。

 

ってことで今日はこの辺で。

 

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