精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【同業者向け】やりたく"なる"宿題のインセンティブ設計を考察する。

31回目の誕生日、割とガチで忘れていた中元です。お祝いされて気付くという。

 

はい。独立をアーダコーダと考えていた僕だが、なんか色々あって、一旦校舎長を挟むことになりそう、という運びになった。

 

詳しい経緯を書くと、愉快にも恐怖にも聞こえる不祥事寸前のあれこれがあるので割愛するが、まぁ、棚ぼたである。

 

さて。そんなわけで何かしらの長という肩書を得ることになったため、僕はそちらの仕事に重心を置かねばならない。考え方の変化も必要だ。忙しくなるぜ。

 

だから最近は、リーダーの心構えについて、成功も失敗もまとめた本を読み漁る毎日なのだが、共通して出てくる”あるもの”の話が気になった。

 

その"あるもの"とは、悲しいかな、現状の校舎にはない。つまり、僕がリーダーになり次第、速攻で作らねばならない必須のものなのだ。

 

これがなければ帆のないヨットの船長になるようなものであり、そんなもんは航海ではなく漂流である。無責任なことはこれ以上できない。

 

てことでタイトル回収を後半に思い切りぶん投げて、この"あるもの"の話から、宿題のインセンティブへと、どうにかこうにか繋いでみよう。

 

 

僕らは何を目指せばいい?

 

あるものの正体。それは、大袈裟にいえば理念で、現実的に言えば目標である。つまり、僕らは何を目指して、この組織を形成しているのかがわからないのだ。

 

もちろん、会社そのものにそれは存在するのだが、校舎となると、単に授業して、楽しく話して、終わりという感じになっているように思えてならない

 

そういう風に、全く差別化されていないサービスしか売れない店は、あっという間に衰退して淘汰されることなど、先例だらけなのだ。

 

この校舎に来れば、どんないいことがあるのか?といった、この塾に通う理由が非常に手薄で脆いのが、今の校舎の致命的な弱点ということである。

 

僕は外への発信を意識していたが、最近色々とさらに上の方と話す機会があり、「やはりまずは基盤の再構築だな」と強く思うようになった。

 

皆様の校舎には、その校舎に通う理由と、そこで働く人が目指すべきゴールが、きちんと明文化されたものが存在するだろうか?

 

校舎長就任のマニフェストじゃないけど、僕がまずいの一番に手を付けるべきなのは、こういった【核】をきちんと設定することだと、今はある種覚悟を決めている。

 

目的≠目標≠手段。



ただ、理念のにはある巨大な落とし穴があると説く人もいる。何度も紹介した、こちらの本に、それは書いてある。

それは、【手段】と【目的】を混同したとき、組織は破滅へと向かうというものだ。(元々は失敗の本質という別の本に書いてあったという)

 

だから丁寧に、目的と目標と手段は切り分けて考えて、徹底的に理念を設計しながら組織の走る方向を定めないと、最後に待つのは血みどろの何かなのである。

 

例えば、目的として、【このエリアで最も面倒見がいい塾を創る】というのを掲げたとしよう。この目的というものには、正直終わりはない。抽象的だからだ。

 

だから、一旦その中間目標として、仮に【売り上げ1000万円】というのを立てたとする。こちらは数値なので、達成できた・できないのジャッジが可能である。

 

そしてこの目標を達成するために用いるものが、いわゆる手段なのである。これも適当に言うと、【全ご家庭に、各種検定の対策を推す】みたいな感じだろう。

 

ややこしいのだが、実は手段も達成不可能である。こちらもまた、際限が無いからだ。こういう共通点があるからこそ、目的と手段は、しばしば混同される

 

それこそまさに、近代化して欧米列強からの独立を目指していたはずが、いつしか戦争になり国を滅ぼしかけた、あの頃のように。

 

先ほどの例だと、理念をすっぽかして、ただひたすらに講習などで高い売上を求め続ける感じに似ている。そんな塾は、ただの悪質なぼったくりだ。

 

大口を開けて待ち構えているこの落とし穴、色んな先例をまだまだ勉強しながら、僕自身気を引き締めたいと思う。

 

やりたく"なる"宿題のインセンティブ設計論。


ところで、なぜ僕はこんなタイトルにしたのか。それは、基盤を立て直すことを一義に掲げる以上、基本とされることを維持でも徹底する必要があるからである。

 

だから、宿題というものの【目的】に立ち返ってみた。これはそもそもの純粋な理由を考えれば、以下の2点になるのではなかろうか。

 

① 家でも学習をする習慣の構築

② 課題による授業内容の定着

 

そしてそれによってもたらされるものは、つまり【学力向上】である。ただし得てして宿題とは、工夫もなく教える側から教わる側へ手渡されるお節介と化す。

 

また、宿題の管理というのは結構大変だ。僕もまた、そこには手を焼いている。正直に言えば、めんどくさいことは、継続し辛いし、させ辛いのだ。

 

だったら、お互い楽しめるようなシステムを、ここで創れたら強いよな、と。宿題は【義務】であり【楽しくない】という概念さえ、ぶっ壊したいのだ。

 

そこで、宿題が機能している例を、なるべく遠いところで探すことにした。するとすぐに見つかった。スポーツのアスリートとコーチの関係性だ。

 

アスリートの現状を把握し、足りないところをつかみ、何をすればコーチが不在の間も力をつけられるか、トレーニングメニューを作り、手渡す。うむ、似てる。

 

ならば僕がしっかりと作らなければならないのは、家でやれば力が付く課題のカリキュラムだし、生徒たちに伝えなければならないのは、宿題の意義とメリットだ。

 

あとは、宿題を通じてランキング表を作るといったゲーム性も盛り込めれば、さらに面白くなるはずだ。

 

ここはたとえ業務が増えようと、必要な投資と考えて、僕が主体となって馬車馬の如く動こうと思う。

 

終わりに。:僕が目指す校舎とは?

 

僕が目指したい校舎は昔から一貫していて、【本当の意味で楽しいコミュニティ】である。

 

校舎はきれいで、管理は機能し、生徒は多く、授業をさらによりよくしようという熱意で満ち、イベントは定期的に行われ、もちろん成績も伸びていく。

 

楽しいこととふざけることは違う。ラクと手抜きもまた違う。そこを履き違えないような校舎を創る。

 

繰り返すが、棚ぼたとはいえその夢が見切り発車で叶うチャンスを得た今、リスクも承知で、衝突も前提で、自分の色を出したいと思う。

 

ってことで今日はこの辺で。

 

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