気付けば明日から盆休みらしいです。その日その日に集中していると、こうなるんですね。何も考えてねえや。中元です。
はい。今日のテーマはある種、僕も嵌りかけていた、視座を上げることの罠みたいなことを書いてみようと思う。
僕自身ここ最近は、最新のトレンドを絶対に学ばねばならないと強く感じており、メタバースだのNFTだのブロックチェーンだの、一生懸命勉強していた時期がある。
勿論その時間自体は有意義だったと感じるし、色んな世界があること、そして莫大な可能性がやってくることを知れたのは、非常に良い投資だとみてよさげである。
しかし、そうやって「俺はガチで勉強してる!!」という感覚で無制限にアドレナリンを分泌すると、ある落とし穴に、人は簡単に嵌ってしまうらしい。
今日は自戒を込めた、そんな話を書いてみる。
創りたい組織だけ見ていると・・・。
今思えば【リーダーの条件】という本にも書いてあるのだが、崩壊する会社の共通点として、リーダーが組織の現実を見ていないというのがあるという。
そんなことあるんかいなという話だが、実はこれ、結構簡単に起こり得る。現場とは良くも悪くも現実であり、思い描く理想とは程遠い姿をしていることが大半だからだ。
それは良くないことだとわかるからこそ、人は普通、勉強をする。ただし、その教材になる組織は、当たり前だが完全なる成功モデルである。
だから、本気でその組織が羨ましく思えてくる。自分の声が通る。売り上げも立つ。社員も生き生きと働く。
しかしそれはあくまでも結果論で、そこに行きつくまでには擦過傷だらけになるような紆余曲折があるはずなのに、やはり到達した像だけが、やたらと心に残ってしまう。
気が付けば、「勉強」という名目で、ただ理想像に陶酔するような時間になってしまうこともしばしばだ。僕も人から指摘されるまで、ぶっちゃけ近い状態になっていた。
「高尚なことを勉強しているが、僕はそれを今の職場に落とし込めているのか?」
自分にその問いを投げかけたとき、それが全然できていないこと、そして自分が思い切り勘違いしていることに気付くことができたのだ。
数秒だけ猛烈に恥ずかしくなったが、気づいて引き返せただけ、マジでマシだ。知らぬ間に僕は僕が嫌だった側に回っているとか、冗談にもならない。
なにかを変えたくて始めた勉強が、現実から逃げるための言い訳になる。そんな怖いこともあるんだなぁと、知っておいた方が吉だと思う。
世界の平和より、職場の秩序。
広報や宣伝が大事とはよく言われる。しかし、そんなものは小手先で、やはりすべての基本にして逃げられないものとは、クオリティなのだ。
授業の上手い下手、実績の有無、面倒見の良し悪し。そういったところでまずは勝ってからじゃないと、せっかく広報をして中に引き入れても、出ていくだけなのだ。
確かに、僕が「上手いな~」と思っている塾は、広報の上手さもそうなのだが、そもそも塾として非常に優れている。
成績は上げるし授業は上手、校舎は綺麗で保護者とのつながりも密だ。だからこそ、広報はあそこまで鮮烈に刺さるのだ。
そしてそうやって泥臭いところもキチンと設計し徹底しておけば、振興の塾が付け入るスキなどみじんも生じないのだ。完璧である。
奇を衒った大逆転など起こりえない。そんなことなどどの本を読んでも書いてあるのに、先人が嵌っていった沼に僕は片足を突っ込んでいた。
繰り返すが、汗顔の至りである。僕の覚悟とは、華々しい手段を積極展開することではなく、見えないが大切な基盤をしっかりと作り直すことに置くべきなのだ。
―だが、改めてやるべきことが非常にクリアになった今、迷いは完全に消えた。華々しい未来を夢見ることはやめないが、そのための第一歩を間違えないようにしよう。
盆明けから、僕のステージが棚ボタとはいえ上がる今、改めて心に誓わされた。
終わりに:その塾をその塾たらしめるのは、目に見えない部分。
自分で言うのもなんだが、僕はプレイヤーとしての手柄は結構作ってきた自負がある。自分にだって箔も付けたし、生徒にだっていくつも付けさせてきた。
だが、その自分からは卒業しなければならない。中途半端こそ、一番チームを潰すリーダーの立ち位置だと、今読み耽っているこの本に書かれていたからだ。
しかし、だからと言って部下を無下にして、「自分は偉い」とふんぞり返るのもクズの極みだ。僕は僕の役目に忙しくならねばならない。
講師としての自分にある種区切りをつける。巨人の監督に就任したときの高橋由伸氏を思い出した。大袈裟だが、状況としては似ている。
この盆で、しっかりと現状と未来とを見つめ直すことにしよう。やっぱり結局、『世界の平和より、職場の秩序』ですね。
このメッセージの意味するところが書けていれば嬉しい。では今日はこの辺で。