精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【同業者向け】自分がめんどくさいと感じる勉強にこそ、指導のネタに繋がるチャンスがある。

最近の入眠動画は、自分が昔ハマったレトロゲームのTAS動画(コンプリートするやつ)です。10分と持たず寝落ちするのでオススメ。中元です。

 

はい。最近また考え事が楽しくなる本に出会い、ワクワクしながら読み込んでいる。それがこの、【観察力の鍛え方】である。

実はこの時点でまだ読み切っていないためいい加減なコメントは控えておくが、とにかくあらゆる感情・思考について、「なぜ?」と問うことは楽しいとわかった。

 

うすうす感じていたのだが、突き抜けた人が突き抜けた理由は、才能の有無というより、どれだけ仮説⇒実験⇒検証を回したかの蓄積だと、この本にも書かれていた。

 

内省大好き人間である僕は、この自己完結する論理ゲームに思い切りハマっていて、気が付けば「なぜ?」と問うクセに、もう影響されているほどだ。(元々あったけど)

 

そして今日早速、我ながら面白いところに「問い」が発生したので、その本の実践がてら、この記事で言葉にしておこうと思う。

 

 

なぜ生徒は地道な努力をやらないのか?

 

僕のメイン指導科目は英語・国語・社会である。正直言ってここの点数を高めるために必須の作業は、英単語・漢字・語句を一通り頭に叩き込んでしまうことだと思う。

 

特に英単語については、僕自身が1500単語を3ヶ月で詰め込んだ結果、偏差値を10以上上げた原体験があるため、生徒にはそれを強く推奨し続けている自負がある。

 

しかし、それをそのまま素直に受け取って、英単語の学習に励む生徒は本当に少数派だ。英単語テストを課しても、ひどい点を取って目を逸らすだけ。

 

これについて、やり場のない憤りを感じたことも多い。いくら勉強そのものが嫌であろうと、必要な投資と考えて努力してほしい。怠惰の理由がわからず、僕は悩んだ。

 

―しかし最近、中学理科のやり直しをしていて、僕自身はっきり、「めんどくさい」と思う場面があって、我ながら驚いた

 

それは一問一答形式の語句問題を見たときだ。そのときは理由がわからなかったが、とにかく感じたのは、"めんどくさい"という強い心理的抵抗である。

 

だがたまたまこのタイミングで先述の本を読んでいたのもあり、せっかくだから自分に問いを投げかけてみることにした。

 

「なぜ大事なことだとわかっているのに、僕はめんどくさいと感じたのか?もしかしたら、その問いに対する仮説の中に、生徒へ伝えるヒントがあるかもしれない」

 

すると、心当たりは次々と浮かんできた。「心の底で必要ないと思っているから?」「解答が別紙になっていて面倒だから?」「書くのが嫌だから?」などなど。

 

すると不思議なことに、また新たな仮説が浮かんできた。「答えを読み上げる形式にすればどうか?」「解答は広げて横に置いておけばいいのでは?」という風に。

 

そして今は、ある程度の仮説が出揃ったので、自分で試して検証している段階である。もしどれかが機能したとき、そのとき僕の中で、一つの経験則が出来上がる。

 

これこそが、生徒に教えるべきなにかではなかろうか。もちろんこれもまだ仮説ではあるのだけれども。

 

「なぜ、みんなはこれを面倒に思うのか?」

 

容易に辿り着きそうで、しかしじっくりと考えたことのない命題。生徒のせいにして切り捨てがちな部分ではあるが、問いを差し向けると、色々気付けて面白い。

 

めんどくさいと思う理由を掘り下げて、解きほぐし、そして解決せよ!

 

さらに目線を広く持つと、得てして生徒がこちらの望む行動(主に学習方法の面)を取らないときの共通点が、色々と浮き彫りになってきた。

 

例えば、宿題。僕自身は宿題について、コーチが作った自主トレメニューのようなものだと解釈しており、今なら頭で理解して、とりあえず実行はできる。

 

しかし、大体の小中学生にとっては、そういうたぐいのものではないらしい。言うなれば、娯楽の時間を奪う悪の存在。それくらいに解釈している生徒も多いのだ。

 

あるいは、家を完全に休息の場として切り分けているタイプの生徒もいる。僕も元来はこちらなので、実は今でも、仕事っぽいことは家ではやらない程である。

 

ここもまた、お互いの理屈に問いを投げることがオススメだ。今回で言えば、相反する二つの主張がぶつかっているような感じである。

 

「なぜ宿題をしなければならないのか?」

 

「なぜ宿題をやってこないのか?」

 

まずはそれぞれの質問に答えてみることから始めよう。宿題を課す理由は、大体以下の通りだろう。

 

「宿題をしないと学力が落ちる」「勉強を習慣づけるために必要だから」「勉強している姿を見せないと、両親が不安になるから」

 

そして同時に、宿題をやってこない理由についても考えてみよう。僕自身がクソ怠け者だったので、思いつくのは容易だった。(それってどうなのという話だが)

 

「量が多くてめんどくさい」「ゲームやYouTubeとか、やりたいことがいっぱいある」「家は休む場所だから勉強したくない」

 

こんな風に。あとは、妥協できる部分は無いか、少し思い巡らせてみるのがいい。例えば僕は、それが正解かどうかはさておき、宿題忘れが多い生徒にはこんな提案をする。

 

「じゃあ学校帰りに来て宿題をやる日を作ろう。それもしんどければ、いつもより30分早く校舎に来て、宿題をやろう」

 

という風に。ちなみに、親御さんには、別のツールを使って宿題をやっているという報告をアップしているので、そちらのカバーもOKである。

 

もちろんこれが絶対な解とは考えていないので、さらに問いを重ねる必要はあるけれど、前よりは更新された何かになっているよなとは感じている。

 

こんな風に、やはり「怠惰」で片づけられがちな部分にこそ、よりよいシステムを創るヒントが隠されていると思えてならない。

 

自分の思った通りに人が動かないとき、怒りを向ける前にまず、「なぜだろう?」と問いを発するようにしてみよう。

 

僕自身、実は短気なので難しいところはあるが、30歳を超えたところだし、それくらいの分別をつけられるようには努力する所存である。

 

終わりに。

 

そういえばひろゆき氏も著書の中で、「自分で問題を作って解くという論理ゲームは、思考力強化にもなるし、タダで暇が潰せるのでオススメである」と説いていた。

 

さらに広い目線で考えてみると、「知ってる」が口癖の人ほど比較的小物で、「どういうこと?」とワクワクしながら質問できる人の方が器が大きい気がしている。

 

恐らく後者は、日常的に問いと仮説の無限ループを高速で回しており、息をするようにそういったリアクションができるようになったのだろう。

 

僕もそちらに行きたくて精神年齢を下げる努力を続けているが、そもそも問いを閃かないことも多く、道は長いと思えて、がっくりすることもある。

 

しかし、よく考えると、ネタはそこら中に転がっている。生徒がめんどくさいと感じることに問いを向ける。すると、その答えの中にアイデアが混ざる。

 

これを愚直に繰り返し、検証して、また問いを立てられた人の塾は、どこもかしこも魅力的なのだ。ならば僕も、そうすればいい。

 

ということで、非常に面白い本に出会った興奮のせいかめちゃ散文的だが、特に推敲もせず投下することにする。

 

ビバ・問いかけ。頭でっかちどんとこい、考えることは楽しいことなのである。では今日はこの辺で。

 

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