実験的に、休日を普段の仕事よりスケジュールぎちぎちにしてみました。今のところ楽しいです。中元です。
はい。中学理科の勉強も佳境であり、参考書は本当に知識のヌケモレを確認する程度で、学習時間の8割強は問題集の演習へと変わってきた。
現状の仕上がりは、僕の勤めるエリアの公立高校入試で言うと正答率7割強~8割弱をウロチョロしており、もう一発のブレイクスルーが必要ではある。
この段階では、問題集を解くたびに、少し自信とモチベが揺さぶられる感覚がどうしてもあった。求められるラインと現状の差に、少し気が滅入るのだ。
しかし最近、問題集を解くという作業の考え方を意識的に変えてみたところ、僕にとってちょうどいい塩梅のバランスをとることができている。
それがタイトル通りの、「【問題集】や【過去問】は、『課題を教えてくれるコーチ』みたいな距離感で捉えるのが丁度よさそう」という解釈だ。
今日はそんな話でサクッと書いてみる。
意識だけで客観視をするのは無理です。
主観的なフィルターを意識して外し、客観的に現状を把握することは大事だと言われる。それについては心底同意なのだが、普段できているかと言われれば、多分否だ。
あくまでも「第三者がこの状況をみたら、どう解釈するか」というイメトレが限界で、完全に意識の中で自分の状況を客観視するのは不可能ではないかとさえ思う。
だからこそ、外部のツールを用いて、時折自分を評価してもらうことが大切になるのだ。手応えではなく数値で、自信ではなく判定で、自分を理解していく。
足りないところがあれば修正していけばいいだけだし、逆に強みが見つかれば、それをさらに武器とすべく磨きをかけていけばいいだけの話だ。
ところで、世の中には個人を客観視したうえで適切な助言・指導を入れることを生業にしている人たちがいる。僕はその方々を総称して「コーチ」と呼んでいる。
ちなみに「coach」の意味を英英辞典でひくと、「必要とされるスキルを教えること、またはそうする人」という意味で書かれていた。
ここだけ見ると「teacher」と似ているが、前者は体育系、後者は文科系といった違いがあるらしい。まぁ、細かいところはいいや。
さて。これを考えれば、常日頃からコーチに当たる人を専属させておけばある種無敵だと言えるのだが、それが現実的かと言われればどだい無理な話だろう。
費用的な限界もあるし、そういったスキルを持った人を確保できる時間にも上限があるためだ。あとは単に、心理的に「そこまではいいか」という躊躇いもある。
そこで使えるのが、いわゆる【問題集】や【過去問】といった教材だ。これに取り組めば、「できる」「できない」が、完全に鮮明となる。
いわば、24時間いつでもどこでも自分に付いてくれるコーチの分身だと考えればいい。決して、自分の弱点を指摘してマウントを取るイヤなヤツではないのである。
しかし、それらの教材を”健全に”そう考えるためには、もうちょっと踏み込んだ意識上の注意が必要だ。次の項ではそれについて書いてみる。
浮き彫りになった課題に感情を織り交ぜないこと。
その注意点とは、見つかった弱点に対し過敏にならないこと。これに尽きる。安河内哲也氏も著書で書いていたが、「精神的な反省は不要」なのだ。
例えば、僕は化学式・イオンの辺りが、まだまだ全然正解できない。つまりそこが僕の弱点なのだが、それについてはそれ以上でもそれ以下でもないのだ。
「自分には化学のセンスがない」なんてのは最悪の反省であり、成長を完全に止め得る硬直マインドセットを生んでしまう要因なのだ。
「化学式・イオンの辺りが解けない」のなら、参考書をもう一度見直してみたり、もっと基本的な問題集からやり直したり、そういう施策の方が適切だろう。
浮き彫りになった課題に感情を織り交ぜない。これだけ気を付ければ、【問題集】や【過去問】は、自分専属のコーチになってくれると思う。
終わりに:成長は途上であり、完成は気のせい。
最後に、最近うすうす感じるあることに関して、独り言を書いて終わりにする。
「成長」という言葉を辞書で引くと、こんな意味が出てくる。
1 人や動植物が育って大きくなること。おとなになること。「子供が―する」「ひなが―する」「経験が人を―させる」
2 物事の規模が大きくなること。拡大。「事業が―する」「経済の高度―」
そして、「成長」に対応する英単語を引くと、「growth」というのが出てくるが、その定義もこんな風に書いてある。
an increase in amount, number, or size (大きさ、数、量における増大・上昇)
これらを考えると、つまり【成長】とは決して何かが完了した状態ではなく、ある種進化の途上を指す言葉として捉えた方が正確なのではなかろうか。
成長し続ける限り、完成はあり得ない。そう思うと、いつも何かの課題を抱えていて、かつそれを改善しようと努力している状況は、正しいのだと思えてきた。
「自分は成長した、完成した」というのは、一流の人になった証なんかじゃなく、ある種変化を止める宣言のようなもの。
そう気付いてからというもの、全然完成してこない自分に対し、不安がかなり和らいでいる。
自分はまだまだ知らないことがある。わからないことも多い。しかし、どんどんそれらを克服することもできている限り、成長しているのだから悪いことではない。
何かしらのエラーにぶち当たることは、成長していることのシグナル。ちょっと青臭い話だが、僕なりに解釈ができた気がして、素直に嬉しい。
ということで最後は結構脱線しちゃったけど、今日はこの辺で。