精神年齢9歳講師のブログ

"よいこ"から程遠い目線から、授業のネタ、講師としての日々、そしてたまには教育や子供について、真面目なことを基本毎日書いてます。

【同業者向け】何年校舎がそこにあっても、知らない人は知らない。てか大体の人は知らない。知られてない。

最近、掃除が下手な人が汚した場所を、試したい洗剤で掃除してみるのがマイブームのひねくれもの・中元です。

 

はい。今日は少し、広報について、自分をイジメるつもりで記事を書いてみる

 

今、僕が頭を抱えていることがある。それは、コマの確保だ。もっと言えば、大学生講師を1日1コマで使いたくないというハナシで、そのためにコマが要る、ということ。

 

基本的に物事はシンプルに考えた方が行動し易くなるので、意識的にそうしているのだが、ではコマを生むために必要な、一番単純な行動とはなんだろうか

 

するとサルでも閃くのが、「もっと多くの人に売ろう、伝えよう!!」ということであり、つまり広報戦略の徹底である。新規入塾を促進するのだ。

 

だから広報の方法を、最近は暇がある度に調べている。成功例だけじゃなく、失敗例も含めて、ガシガシと。

 

今日はその結果気付いた、ある冷厳な事実を基に、記事を書いてみたいと思う。

 

 

何年校舎がそこにあっても、知らない人は知らない。てか大体の人は知らない。知られてない。

 

それは、”ただそこにあるだけ”というのは、何の広報にもなっていないということである。顧客とは魚ではない。そして校舎とは、定置網ではないのだ。

 

どれだけ力を持とうが、どれだけ影響力が出ようが、広報に熱心な人は、足を使うし、どんどん手を打つし、発信そのものに余念がない。鬼気迫るものさえ感じる。

 

逆に言えば、実績を重ねて、力量もあるプロでさえ、それくらいしなければ集まらないのが"人"ということならば、広報をナメること=死というくらいギルティである。

 

ふと思えば、その例は自分の中に探すことだってできる。

 

例えば、近所に知る人ぞ知る定食屋があるのだが、僕がその存在を知ったのは、今の家に越してきてから6年くらい経ってからだ。

 

それまでは失礼ながら、少し寂れた、おばあちゃんがひっそりやっているお店だと思っていた。実際は、常連を中心に、結構新規の客や学生で賑わっているそうだ。

 

地元では繁盛していても、知名度とはその程度。しかも、万物は流転するし、そこに住む人も、越してきてはまた出ていくのを繰り返す。

 

例え何年そこにあろうが、ただそれだけでブランドになることは見込めないブラックボックスを破壊し、誰が何をしている校舎なのかを可視化しないと、やはり死ぬ。

 

来週以降、精神修行も兼ねて、こっそり自分だけ意識の中で、改めて広報を超強化するつもりで行動を起こしてみる所存である。

 

頭を下げて口コミを起こすという滑稽さ。

 

ところで、僕の先輩たちは、「全ご家庭に紹介をお願いする、頭を下げる」というフレーズが好きである。(やってるところを見たことは無いが)

 

僕は相当切羽詰まっているときは、これもやむなしだとは思うが、ただやはりこの方法は、個人的には最終手段だと考えている。

 

プライド云々ではなく、全員に対し安目を売る結果になるからだ。安目を売ってしまうと、遅効性の毒のように、ジワジワとダメージが染み込んでくる。

 

せっかくの紹介を無下にはできない。だから過剰にサービスを提供する。それによって社員と組織が疲弊していく・・・という未来。この側面も、描けないとどうかと思う。

 

もちろん、僕自身も面談等の中で紹介をお願いしないわけではないが、その際は自分の中で”ある条件”を設けている。それは、良い結果を出した後である。

 

テストの点が20点上がったとか、学年より上の級の検定に受かったとか。結果に対し顧客が喜んでくださっているとき、さりげなくお願いをする。

 

一応これは心理学上の効果を狙っているのもあるが、単にこちらから依頼をする場面として一番スムーズだから、というだけである。

 

それに、生徒が結果を出しても無いのに、こちらが頭を下げてお願いするとか、もはや滑稽でしかない。腹の底で嘲笑されて、それで終わりではないだろうか。

 

広報のためにはまず材料が必要であり、材料とはつまり成果・結果である。シンプルに考えれば、逃げられない答えがやはりまた姿を現す。あぁ、腹、括ります。

 

ということでこの上なく自分を慰めるどころか全力でケツを蹴り飛ばす記事になったが、今日は独り言ということでこの辺で。

 

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