精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【同業者向け】理想の自習室作りはもはや『狂騒曲』。 ~なかなか理解を得られぬ中でのたたかい~

「調べる」ことは、お金が掛からない遊びの中では最高レベルに楽しいと思っている中元です。

 

はい。僕は基本あらゆることに孤軍奮闘しがちなのだが、今も現在進行形でそうなっているものがある。それは自習室の環境整備だ。


「生徒が自習に来ない・・」というボヤきを何度も聞かされ、その都度「時代かなぁ」というオチになる度、コロコロコミックの漫画よろしく、「ズコー」となりそうになる

 

違うだろ、と。自習に来ない時点でかなりの赤信号であり、絶対どこかに致命的なエラーが起きていることの証左に他ならない。僕はめちゃくちゃ焦っている。

 

上の方は一生懸命「自習に来いや!」と生徒に発破をかけているが、それだけで来るなら苦労はしない。今はひたすら、観察と問いと仮説とサイクルを忙しく回している。

 

「校舎の設備を好き勝手に変えるな!!」と叱られるたび、内心鼻で笑いながら、「さーせんっす」と、意地でもへこたれない。

 

何故かというと、そういう指摘をする人は結局テコ入れをしないからだ。バレないようにいじくって、また怒られてヘラヘラして。もはや狂騒曲である。

 

てことで今日は、僕が悪戦苦闘しながらずっと作り続けている理想の自習室について、途中経過をまとめたいと思う。

 

同業者以外クソどうでもいい話になると思うが、まぁご承知おきくだちい。では以下、本題である。

 

 

僕が目指す自習室、それは【完璧な学習環境を提供する場】。

 

授業で成績が伸びるという人がいる。だがこれは、そうあってほしいという希望に他ならないと僕は感じている。

 

授業はあくまで、成績を伸ばす”きっかけ”なのだ。学習の目標を示し、理解が難しい単元を噛み砕き、自学へ促すための橋渡しをする。これが僕の思う授業の意義だ。

 

ボディビルダーやアスリートが、時々コーチのパーソナルトレーニングを受けるのも、その場で伸ばすということが主な目的ではないのと同じだ。

 

そこで得た知見をヒントに、自分なりに試行錯誤し、自分で努力し成長していく。授業だけで賢くなるなら、学校の授業を毎日6時間受ければ全員東大に行けるはずである。

 

やはり授業外の時間で、どれだけ演習ができるか、させられるか。これが非常に大切だと思う。そしてその場は、塾の中に作っておくのが合理的というか、当然だろう。

 

ダンベルやバーベルやマシンがたくさん揃ったジムに行けば、おのずと筋トレに励むこととなる。それは、レーニングに特化した環境になっているからである。

 

それと同じで、完璧な学習環境を用意しておけば、おのずと勉強に向かうし、それを目的として校舎に来る回数も機会も増えるだろう、と言うのが理屈だ。

 

そうすれば成績はガンガン伸びる。伸びれば口コミが起きる。口コミが起きれば、成長サイクルに乗る。僕はその最初の一歩を、どうしても回したいのだ。

 

学習を阻害する要因は徹底して排除できているか?学びに特化した環境になっているか?家で勉強する方がマシという状況になっていないか?

 

ここ最近は毎日時間を取って、他の塾の自習室の例をブラウジングし、経費がそこまで必要なさそうな気づきをリストアップし、コツコツと勝手に移植している。

 

もちろん勉強法の勉強はもはや趣味というか日課になったし、自分が試してアリと思ったら、それを積極的に導入するよう心掛けている。

 

生徒が学習の来ないのは生徒当人の怠慢、という言葉は、実はほぼ例外なく講師側の怠慢だ。

 

手遅れになる前に、僕の遅々とした努力でも、頼むから間に合ってくれと、本当に悲痛な気持ちを抱いている部分さえ、ある。

 

なぜ他の方は自習室へのテコ入れを嫌がるのか?


自習室の環境を整えることの重要性は、学べば学ぶほどよくわかるのだが、どうにもそれに対し消極的な人が、社内には多い印象がある。

 

理由を聞いたこともあるが、「目の届かないところが増える」等のよくわからないものであり、議論ですらない何かを平行線に並べることしかできていないのが現状だ。

 

推測だが、自習室を整えるとは、例えば毎日の掃除やアイテムの追加、日頃の改善などがマストな作業となる。思うに単にこれが面倒なのではないかな、と。

 

しかし、「全部自分がやりますんで」と提案しても、「いや、ええから」とピシャリ。すごくヤキモキしてしまう。

 

ところで、自分が慣れ親しんだ環境のことを「コンフォートゾーン」と呼ぶ。人はここから出ようとするとき、あるいは出ざるを得ないとき、猛烈な抵抗を抱くそうだ。

 

だからこそ新しい習慣を足したり、あるいは今までなんとなく続けてきたことを止めたりするのが、あんなにも難しいのだ。それが集団規模となると、猶更。

 

僕は環境を整えたい。それはつまり、現状の環境を変えることに他ならない。だから抵抗されるのだ。これはもう、目立てば叩かれるSNSの闇の構図にかなり近い。

 

ここを打開するには、更に粘り強く説明を続けるか、偉い人からの特命を受けるか、僕自身が立場を得て昇進してしまうかだと考えている。

 

その内の1つが今度こそ達成されそうな今、この部分は単なる時間の問題かなと、独り言ちる部分もある。

 

他塾の例を見れば見るほど募る焦燥感。

いつでも使える自習室|完全マンツーマンの個別指導塾|個別教室のトライ

いつでも使える自習室|完全マンツーマンの個別指導塾|個別教室のトライ

 

本気で心の底から悔しいのだが、周りの競合他社の自習室は、ものすごく綺麗で清潔感があるところが多い。もはや、設計から全然違う。

 

もちろん今さら新品同然のピカピカさを出すことはできない。しかし心掛け次第で、絶対にこういう清潔感は「演出」できるはずだとも確信している。

 

むしろ、早く微差を重ねて、急ぎこれらの清潔感に見劣りしないレベルで自分たちを高めないと、授業内容云々以前の段階で完全に敗北し続けているようなものなのだ!

 

いわば、負の広報を毎日垂れ流しているに等しい。それによって失われるロスのデカさ、マジで本当にただただ恐怖しか感じない。

 

焦る。焦るから行動する。行動すれば咎められる。しかし行動しなければ負ける。僕は負けたくない。負けたくないから急いた行動に出て、以下ループ。

 

もはや発狂しそうな板挟みだ。あまりにも辛くて、辛いと思うことすら麻痺してしまった。汚い校舎には、神も宿らないし、客も来ないのだ。

 

当たり前の話だと思っていたのだが、これが前提に無い人もまた、かなり多いようである。

 

終わりに:絶対に間違えていないと確信しているからこそ。

 

ということで、要するに肩書も裁量も無い人間による安全地帯からの遠吠えを書いてみた。

 

しかし、今日もこれからアイデアを頭に100均へ行って、アイテムを揃える予定である。僕にとっては、結果怒られることなんてどうでもいいからだ。

 

もちろん抵抗勢力が出るときは、僕自身が間違った行動をしていることが原因の可能性もある。だが、校舎を美化することが間違った行動だとは、露ほども思わないわけで。

 

正しいか正しくないかは個々人の価値観によるところだろうが、僕がやろうとしているのは算数レベルの話である。汚い校舎に、人は来ない。これが一般論なのだから。

 

きたな旨い店という言葉もある。しかしこれはやはり、例外だ。

 

他を圧倒的にぶち抜く商品価値と、膨大な口コミネットワークがあって初めて存在することが可能なものをモデルにするのは、ちょっと愚かだと思う。

 

さて。

 

きっと今日も、校舎に入ってみればびっくりするほど物が増えて、また汚されていることだと思う。だが、承知しているからダメージは激しくない。また磨けばいいだけ。

 

今日もまた、その繰り返しである。頑張りましょう。では今日はこの辺で。

 

 

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