精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【同業者向け】「正攻法で教えよう!!」→「いや、テクニック重視でいこう!!」→「説明の時間をどうすれば圧縮できるかな・・」←今ここ

次月のカードの引き落とし額を冷静に計算したら、口座の残高から2000円ちょい足りないことが分かって焦ってる中元です。(手持ちの現金をまた戻せば解決なのですが)

 

はい。そろそろ冬季講習がやってくるタイミングであり、日常業務を捌きながらも予習・授業研究を行う必要はあるため、色々マルチに大変な時期がやってきた。

 

とはいえさすがに、新入社員の頃のような右も左もわからず、ガムシャラにテキストとにらめっこしたり、人の板書計画を読み漁ったりというオタオタは無くなった

 

そんな今は、自分がこれまでに作ってきたり使ってきたりした説明や指導を、できるだけ同じボリュームのままスリムにしていくような感じで、予習を行っている

 

例えばPS2みたく、一度生まれた商品は時が経てば、大抵性能そのままにスリム化するものだが、その雰囲気に似ていると言えばイメージし易いかな、と。

 

ということで今日は、少し懐かしい気持ちに一瞬浸って現実逃避するためにも、僕がどういう変遷で自分の授業を作っていったか、振り返ってみようと思う。

 

これからそれを披露する場がある講師や教師にとって、何かヒントになるところがあれば嬉しい。では以下、本題である。

 

 

「正攻法で教えよう!!」

 

誰でもなんでもそうだと思うのだが、僕もまた【模倣】から始めた。先輩職員の方のそれを見学したり、参考書をじっくり見たりと、真似を何度も繰り返した記憶がある。

 

改善点を探そうにも、あまりにも手探り感が強かったため、この時期はとにかく必死だった。何かしらの輪郭が掴みたくて、ひたすら色んな人を学び、その通りに話した。

 

時折そこから外れて自分の思う授業を作ったこともあるが、その評価はとてもよろしくなく、社内の授業発表コンテストでそこそこにボコボコにされた経験もあるほどだ。

 

この【模倣】の期間は、2~3年続いた。いわば、自分の理想と、求められる指導のすり合わせに必要な時間。無駄ではないと今なら思うが、当時は結構辛かったなぁ、と。

 

論語ではないが、自分が思ったように授業をしても、大枠を外さなくなったのは、大体入社して3~4年経った頃の話だ。これが相場より早いか遅いかは、知らない。

 

尚、この時期に読み込んだ本で、今でも非常に役立っているのが、TEDのスピーチの技術をまとめたこの本である。時折読み返すと、その度に気付きと学びがあるほどだ。

骨太の経験値が欲しい人は、ぜひ読んでみていただければと思う。

 

「いや、テクニック重視でいこう!!」

 

経験値をある程度重ねて、またインプットの量がそれなりに多くなると、自分なりの方法論のようなものが、自分の中にできてくる。そしてそれを、伝えたくなる。

 

今思えば、こういう考え方をもって、授業作りのステージなりレベルなりが、次の段階に上がる、ということになるかな、と。

 

僕で言えば、大体英検準1級を取得した辺りである。上手く言語化できないが、正解の選択肢の雰囲気はこうで、間違ってるやつのはどうで、というのはわかっていた。

 

読解のコツというか、正誤判別の基本というか、そういうテクニック的なことを教える方がいいのではと、ある時期を境に強く感じるようになったのだ。

 

気付けば、参考書や問題集を開いても、思考法そのものに意識が向くようになった。例えば、【対比構造】とか【譲歩構文】とか、そういうものに僕は惹かれた。

 

それらを適応すれば、こう解ける。もちろん全部が全部ではないのだが、そういう風な授業を心掛けつつ、2年くらいは続けただろうか。

 

―だが、そこであることを悟り、この方法も若干下火になっている。そのあることとは、基礎学力もクソも無いヤツにテクニックは無益というものである。

 

例えば漢字をロクに”知らない”ヤツに対し、譲歩構文とか言い換えとか同義語とか伝えて何になるのか。そいつが必要なのは、まず漢字ドリルの勉強とその習慣づけである。

 

基礎ばかり教え続けたキャリア前半、応用ばかり教え続けたキャリア後半。思えば僕は極端だっただけなのだが、となれば出てくる答えはおのずから1つになるわけで。

 

「説明の時間をどうすれば圧縮できるかな・・」

 

今の心がけは、その2つのミックスという感じだ。基礎学力に当たる部分の説明をとっとと終わらせて、2~3コマ目からは、テクニックの話をする、という具合。

 

文字にするとめちゃくちゃ偉そうで自分でも腹が立つのだが、まぁやっていることは、教科書の内容の説明と、定期考査での問われ方のネタバラシ、である。

 

そのためには、いずれにしても説明をできるだけまとめて、演習に時間を割く方が正義となる。とはいえあまりにも説明をサボると、塾としての評価が下がる。

 

一時期は25分以内に収まればいいと思っていたが、最近はもっと自分に負荷を掛けており、15分以内で説明は一度、必ず終えるようにしている。

 

すると必然的に、もっと長尺で考えていた過去の板書は、作り直す必要が出てくるわけで。いい意味で過去作のブラッシュアップができるから、色々とちょうどいい。

 

そして何より、一言で”圧縮”と言っても、これがまた難しく、そして楽しい。機能を損ねず軽量化することは至難の業なのと、大袈裟だが似ている。

 

だから、説明の仕方は勿論、例文にもこだわるし、一挙両得的な繋がりをもたらす方法は無いかと、思い巡らすこともある。かなり前倒しで下拵えすることさえ、ある。

 

例えば【名詞+前置詞~】といった後置修飾の感覚を、最初にバチっと教え込んでおけば、不定詞の形容詞的用法や関係代名詞の指導がラクになるのと似ている。

 

もちろん猛烈に頭も疲れてくるのだが、筋トレもレベルが上がれば1つ1つのセッション自体が常人には実行負荷のきつさになるようなものだと思い、前向きに捉えている。

 

終わりに。

 

ふと思うのだが、「説明の時間をどうにかして圧縮したい」フェーズを脱したら、今度は講師として、僕はどこへ向かうのだろうか

 

少し考えてみたが、恐らく「どうすれば自分の分身を作れるか」という問いに移行する気がしている。

 

100人に語っても売り物になる自分。動画で観ても満足してもらえる自分。そこを目指すのではなかろうか。

 

だが悲しいかな、多分そこに行きつくまでに、僕の講師としての人生は終わりを迎えていることだろう。指導する側としてのキャリアは、もうそこまで引き延ばす気はない。

 

だからきっと、「どうすれば周りの講師が気持ちよく指導に当たれるだろうか、生徒の成績を自動的に伸ばせる環境を創れるだろうか」という方に注力するだろうな。

 

様々なキャリアの選択肢は、まだ目の前に開けている。しかしそろそろ、一旦決断しなければいけないタイミングなのだとも思う。

 

―少し謎な結びになったが、今日はこの辺で。

 

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