起き抜けには今日こそ酒を止めようと思いながら、仕事終わりにはいっつも明日からと考えるゴミです。どうも、中元です。
―新年度が始まり、新たなクラスを受け持つことが増えた。ここまで深刻に取られる講師がどれくらいいるかは不明だが、僕は最初こそ『教える内容』に気を張っている。
講師のウリとはわかり易さももちろんだが、それは手段であって最終目的ではないと思う。それはやはり、『得点向上』と『合格等の結果』だ。
わかり易いと思ってもらえれば、話を聞いてもらえる。話を聞いてもらえば、得点が上がるノウハウや勉強法を実践してくれるかもしれない。
ブランドのあるカリスマ講師はその実績で前半をすっ飛ばせるが、名もなき一介の講師はここから構築しなければならないので、実は最初程大変なのである。
ということで今日は自戒を込めたテーマで記事を書いてみます。あなたの指導した教えは『また』使いたくなるのか?
そういう話を以下つらつらと。
聞いて得したというフェーズでは、何も成長を生めていない。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/69332
僕がシビアに考えていることなのだが、『わかり易さ』全振りの授業とか、序盤かたまにしか要らないのだ。
わかり易い授業だけでは賢くならないことは、データが示している。それをウリとしながら点を上げる講師は、必ず他の手を用意しているものだ。
例えば東進衛星予備校は受講後のテストを必修にしており、それをクリアするまでは絶対に先に進めないようにシステムが組まれている。
ウリはもちろんわかり易い授業なのだが、成績をアップするタイミングを他に用意しているということである。正直、こういうのが理想である。
もちろん、説明がゴミだと、そもそも話を聞くだけ損だと思われるため、どれくらい優れた学習法等を持っていても馬耳東風。暖簾に腕押しとなってしまう。
だから信頼をある程度構築するまではわかり易い授業全振りで良いとは思うが、それに終始すると成績がアップしないため、ご家庭から見て頼りなく思われるわけで。
『ここ最近の俺は説明に終始していないだろうか?』
・・・僕は強迫観念的に、折に触れて自分の説明を省みている。幸いここんところはバランスが取れているが、ぶっちゃけ些細な気の迷いとかでここは崩れる。
キャリア関係なく、この時期は気にした方が良いかもしれない。
では、理想のバランスとは?
これはそんなに難しくなくて、説明は長くても25分以内にまとめ、演習を15分ほどその後にかませるだけである。
特にこの間、机間巡視して解く様子をつぶさに見れば、手が止まっている生徒などに個別のアプローチができるため、色んな発見がある。
例えばこの生徒はここが苦手といった別個の話に留まらず、『あの言い方だと真意が伝わり切ってないな』という集団授業の説明のヒントも得られるのでオススメ。
・・・正直、演習開始の最初の5分くらい息を抜いてもいいだろうけれど、その辺は個人個人のスタイルに応じて考えてほしい。
また僕は、日によって演習に全振りすることもある。結局、一番成績を伸ばすのはどれだけ問題を解かせたかにかかっているのだ。
例えば英語の特定の文法など、ある程度まで知識を入れたら結局演習という分野で、たまにこういうことを行っている。メリハリという意味でもオススメである。
ってことで今日は、過去何度も書いたようなテーマの焼き増しに近いが、何かしらのヒントになっていたら嬉しい。
では今日はこの辺で。