精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【同業者向け】明文化されていないルールの怖さを改めて知った事件がありましてな。―そしてそれを改善するために誓った、あること。

今日、まだ少しもやもやするお叱りを別の上司から受けた。聞けば、料金の対応について、僕の取ったやり方に不備がある、トラブルに繋がり得る、というものだった。

 

尚、その後の対応については事なきを得る形で終結したのだが、「申し訳ありませんでした」と電話口で謝りながらも、僕の心の中にははっきりとした”しこり”がある。

 

その”しこり”とは、「そんなルール、初耳だよ」というやるせなさである。だがその上司に言わせれば、知らないことが悪で、それは僕の怠慢と言いたげな温度だった。

 

今はそれ以上自責にも他責にも意識を持っていかれないよう自分の中で折り合いをつけたが、この件をきっかけに、更に「曖昧」の怖さを実感することができた。

 

何をどこまでやっていいのか。そのルールの体系化と共有が不十分な状況で仕事をするのは、こんなにも恐ろしいのかと、今はその感覚に少し慄然とするものがある。

 

そして自分自身も満足に気付けていなかったのだが、この状況の闇は思った以上に深い。今日はそういうテーマで、急ぎ記事にまとめてみる。

 

 

共有”されている”という幻想。

 

僕が感じた闇は、ルールの有無や、それが明文化されているか否かについて、僕含め、コミュニティの構成員全員がかなり無知であるということだ。

 

言い換えれば、ルールは既に、一つの例外もなく全員に共有されているという幻想を、その全員が抱いているのではないか。そういうことを、今は仮説立てている。

 

今回の件で僕が一方的に悪いことをしたと咎められたのは、それはある意味で確かにその通りだ。しかし、繰り返すが、そのルールの存在を知ったのはまさに今日である。

 

「わからんことがあったらその都度言え」と言われても、何がわからないかわからない状況下で、それを報告するのは無理である。

 

一応そのことも正直に伝えたのだが、「まぁ、わからんことはその都度聞け」という風に、同じことを言われて終わってしまった。僕の意図は、多分伝わっていない。

 

・・気付いてしまった厄介なことは、まだある。

 

それは、全員が全員、全ては共有されているという幻想を抱いている状況下では、「明文化しましょう」という提案は邪魔モノ扱いされるだけでは、という危惧である。

 

というより、僕のこの「ルールをきちんと明文化してよ」という思いは、「わからんかったら(以下略)」というコメントで、今のところ全てシャットアウトされている。

 

結果として、僕にとっては地雷がどこにあるのかわからない状況を放置されたままだ。そういう恐ろしさが続くと考えただけで、寒気がする。

 

僕はこれから新任の校舎長になるわけだが、地雷の在り処を教えてもらえず、踏んで事故を起こして怒られる度に学ぶなんてイバラの道、なんて無駄なのかと思わされる。

 

なんというか、被害妄想を全開にすれば、僕が上手くいかないように口裏を合わされているような気分にさえなってしまう。全くもって不健康な状態だと思う。

 

尚、今のところは環境を変える方にあくせくするというより、僕にふりかかる被害を減らすよう自分にできる努力をしようかなと、ヘンな方向へ腹を括ったところだ。

 

雨が止まないからと謎の儀式を捧げまくるのではなく、上等なレインコートを調達する、といった風に。

 

そして外野席からねちっこく、ウザがられながらもしつこく明文化しようぜbotになり切ろうと考えている。

 

【成果】で黙らせるというファンキーな選択。

 

ここまで書いてきてふと思ったが、僕はいつまで、部下として超えられない壁に対してクヨクヨしてんのだろうかと気付いた。

 

僕には責任と裁量がようやく与えられる。数値を出すという責任と、数値を出すために必要な作戦を練る裁量。

 

一体どれほど望んだかは知らないが、これをもって、僕も肩書という意味で上司と仰いできた方々に並ぶわけだ。

 

となれば、あとは結果・成果でブチ抜けば、多少はゴリ押せるという脳筋な思考回路が、また自分の中でフツフツと沸いてきた

 

これに気付いたとき、心がふっと軽くなった。結果・成果を出しながらも、他の誰かの手柄として吸収される構造は、まもなく終わるのだ。

 

なんか知らないが、やる気が出てきた。そのためにまず、僕のチーム内で、僕が思う価値観を広めて共有させるところからだな。

 

僕は何も役員から飛んでくる指令を無視するわけではない。それらは全て完璧に、忠実に実行する。そのうえで自分の裁量の部分を使い、工夫する。

 

成果さえ出ればこっちのものだ。まずはそこを目標にしよう。僕が最初に突破すべき目標が、はっきりと見えた気がする。

 

―ということで、だ。

 

変わらないルールについて不満を言いたくなる気持ちは僕もよくわかるが、そのためには一度我を封印し、自分に力をつけると腹を括るのが近道かもしれない。

 

改革のウィンドウは一瞬しか開かない。しかもそれは、偶発的なことだ。だからこそ、開いていないのなら、開くまで待とう、ただし鍛えながら、ということだろうな。

 

最後はヘンな誓いに着地しちゃったが、僕は満足しているのでもういいや。じゃ、今日はこの辺で。

 

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