リーダーシップに関する話を最近は調べたり実践したりし続けているのだが、そうすると大抵、ある議論に辿り着く。
それは、「勤勉なリーダー」と「効率的なリーダー」、どちらが理想なのかというものだ。要は、働き者とゆとりある者、どっちの方が優れているかということだと思う。
これについては、銃規制の話に似ているのだが、どっちにも強い一長一短があり、ゆえにどちらが理想なのかは個々人の価値観に因るのでは、という印象が強い。
つまり、二者択一でどっちがどうこうと決めるのは、不毛だと思えてならないのだ。その理由は、多分だが、具体例が整理・共有されていないことだと感じている。
ということで自分自身の今後のスタンスを客観視するためにも、今日はこのテーマを、自分なりに分析しておきたいと思う。
「勤勉なリーダー」と「効率的なリーダー」それぞれのブライトサイドとダークサイド。
まずはこの2種類のタイプにリーダーについて、ブライトサイドとダークサイドを考えておこうと思う。
ただ得てして、世間から嫌われがちなのは、「勤勉なリーダー」ではないかと思う。だからまず、このタイプのダークサイドの分析から始めよう。
思うに、勤勉な人が嫌われがちなのは、ブラック企業とワーク・ライフ・バランスという2つの言葉が普及した結果だと感じる。
勤勉な人は、誰よりもよく働く。滅私奉公して仕事に打ち込む。しかしそれによって同調圧力がかかり、その人のせいで周りが休めず、チームが疲弊していく。
真面目な人は真面目に働くがゆえに、仕事に充実とかその辺を求めない人がワリを食って、余暇の時間を奪われるという印象になる。だから嫌われるのではないかな、と。
具体的な話は忘れたが、週に100時間以上働くようなリーダーに就いた部下が、そのせいで休めないと、労基に訴えたみたいな話を聞いたことがある。
「長時間労働反対!ワーク・ライフ・バランス!定時に帰るのが正義!休日は完全週休2日制じゃなきゃ働きません!」という風に。一種のブームだと思わされる。
―では一方、このタイプのブライトサイドはなんなのだろうか。それは単に、滅茶苦茶働くということは、結果を出しまくるということに尽きる。
もちろん中には自分で穴を掘って自分で穴を埋めるように、忙しくすることが目的のヘンな人もいるのだが、猛烈に働くことが膨大な成果を生むことは、少なくないだろう。
また、仕事に対する集中の度合いが高いということは、インプット・アウトプットの質の両方が高いことでもある。だから成長速度も、段違いに速い可能性がある。
元々日本人は勤勉であることを武器として、戦後復興を果たした民族である。そこを全否定すると、どこか戸惑いが生じる感じになるのは、仕方ないのかもしれない。
―では対する、効率的に物事を進めるリーダーを考えてみよう。
こちらは、評判は得てして高めだと思う。定時で仕事をキッチリ終わらせて、プライベートもしっかりと取るし、取らせる。
【小さなチーム、大きな仕事】にも書いてあったが、本当に優秀な人は、無駄な残業はせず、それでいて成果も出すものなのだ。
なるほど、これは確かにメリットばっかりだ。全員、等しくこれを目指せばいいように見えてしまう。
しかしこれにもダークサイドはきちんと存在する。それは、単なるナマケモノと容易に混同されてしまうというものだ。
「効率的」であることの具体例は、他の人が10時間掛かる作業を、工夫と集中で5~6時間に圧縮することみたいに語られる。つまり、仕事そのものは、他の人と同量なのだ。
そして効率的であることを勘違いすると、「必要な仕事」さえガンガン削っていき、結果として生み出す財のクオリティが大きく下がっていくという側面もある。
そうなれば、効率的な思考ではなく、単なるサボリである。皆定時で確かに帰れるけど、チームの価値観として、「いかに手を抜くか」が蔓延する可能性もあるわけで。
最終的には、組織や会社そのものが淘汰される未来だって、僕は描けてしまう。サボるツケは、思った以上に大きいのだ。
―というところまで考えると、着地点は自然と見えてくる。結局、勤勉なだけでも、効率的なだけでも、ダメ。シンプルに、そういう話なのだ。
ということでこれを踏まえて、僕が思う「ここを目指そうかな」という立ち位置の暫定解を、以下ちゃちゃっと書き添えておこう。
「効率的であることに勤勉なリーダー」たれ。
その折衷案とは、「効率的であることに勤勉である」ところだなと考えている。無駄な努力をしないために努力する、という感じだろうか。
こう思っているきっかけは、ドラゴン桜に書いてある、「がんばるという言葉は思考停止ワードである」という言葉だ。この言わんとするところが、凄く腑に落ちている。
目の前の作業やしがらみ、関係性について、無駄なところ、非効率なところはそのままに、「がんばる」という意思だけで何とかしようとするのは愚か。
そういうメッセージをそこから感じている。それに追い打ちをかけたのが、西野亮廣氏のこのブログだ。
「業務改善だ!」という風に鼻息荒くなった人が新規事業に打って出ると、大体しくじるという話が、根拠を添えてトコトン指摘されている。
ただ、僕に引っかかったのはそこではなく、「利益を増やすために新しく何かを始めるより、無駄を減らす方が確実である」という部分だ。
例えば、極論だが、大学生3人を使って回している授業を、上手いこと2人で回せるように組みかえれば、単純計算で1人分の人件費が浮く。
これは、冷静に考えれば、新規入塾生を1人取ってくるのと同等の費用対効果があるとみていい。僕がまだまだ身に着ける必要がある観点は、まさにここである。
なにか目先の業務で、無駄なところはないか?特に、その無駄に直接お金が掛かっているなら、猶更だ。
そこを削ることで、そしてたったそれだけで、赤字の補填が済んでしまうのだとしたら?僕はここに、【夢】を感じている。
そして無駄さえ削ってしまえば、勝手に余暇は増えてくる。ドミノの一枚目はここなのだ。僕はここを見つけることに、勤勉でありたい。
「がんばる」なんてのは最終手段にして、愚の思考。それくらいで良いのかもしれない。
ということで、今日はこの辺で。