精神年齢9歳講師のブログ

校舎での出来事、読んだ本、つまりインプットを全てアウトプットに変える実験場、的な。

「貢献感」を狙って生み出す方法が見えたかもしれない。

最近「嫌われる勇気」を再読している。もう読み返して6回目くらいなのだが、それでも新たな発見があるというか、自分の観点が変わっているからか、学びが多い。

 

その中で今までと違い、すごく心に引っかかったのが、「貢献感」という言葉である。これこそがつまり、「幸福」の正体なのだと。

最初に読んだときは、”自分が”どうすれば貢献感を持てるかをずっと考えていた。その当時は、自分の生き辛さを解消することに必死だったからだ。

 

もちろんそれに必死なのは今も同じだが、今はどちらかと言えば、僕の携わる組織のメンバーに、どうすればそれを感じてもらえるかという目線で読んでいる。

 

そして今日、僕の中でまた、色々な情報がバチコリに繋がる瞬間があった。たまにある、件のマジで興奮する奴だ。

 

つまりまだ、ただの思い付きの段階なのだが、自分の中で一気に霧が晴れたような手応えを感じられている。

 

今日はそんなお話を、こっそりエキサイトしながら書いてみる。

 

 

依頼とはつまり、成果のおすそ分け。

僕は人に仕事を振るのが心理的に嫌いである。引き継ぐのが面倒というより、人の時間を頂戴することに滅茶苦茶抵抗があるためだ。

 

僕は「人を動かすにはまず自分が動け」という教えに強く共感し、その通りにしてきた。それでも処理しきれない際、初めて人に依頼すべきだと信じていた。

 

だが最近、僕のキャパをオーバーしそうなほど、四方八方から嬉しい仕事も、厳しい仕事も飛んできまくっている

 

正直、一人で全てを抱えることはもう無理だという限界ラインがすぐそこに見えている実感がある。毎日12時間働いても、処理しきれないほどに。

 

こんな風にメンタルと身体が疲れてくるときは、僕はあまり自分を追い詰めないよう意識している。具体的には、斎藤一人さんの言葉を思い出すようにしているのだ。

 

どこか辛いときは、やり方を間違えているという神様からのサインだよ。

 

そんな観点から見つめると、僕が現在抱えているエラーが浮き彫りになってくる。僕は全てを自分一人で処理しようとして、無理をしているからしんどいのだ。

 

だから問いを進めた。僕はなぜ、人に仕事を依頼できないのだろうか。すると見えたのが、先にも書いた、人を頼ることへの心理的抵抗である。

 

自分が頑張ればできることなのに、人の時間を頂戴してラクをするのはダメだよね。そんなメタが、僕から依頼という選択肢を奪っているのだ。

 

―だが、ここまで考えたとき、ふと思った。誰にも仕事を振らないのって、すごく自己中心的な考え方ではないか、と。

 

僕は人の時間を奪わない代わりに、何も与えられていないのではないか。それって、チームで働く意味や理由の全てを、殺しているのではないか

 

では、依頼をすると、僕はその人に何を与えられることになるのだろうか。そこまで考えたとき、こんな風な衝撃が頭に走った。↓

 

「仕事を依頼することは、適切な配慮さえあれば、それはつまり組織に貢献するチャンスを与えることなのではないか?」

 

―僕の中で、「チームを動かす、チームで働くこと」の意味が、完全に更新された瞬間だった。ずっと腹落ちさせられなかったアレコレが、急に飲み込めた感覚だ。

 

例えば、一人でバリバリ働き、ドシドシ成果を出すリーダーは確かに優れていると思うが、その人の下で働くメンバーは退屈ではないかなという感想も、僕は持っていた。

 

しかし一生懸命働かないと、サボっているリーダーという烙印が押され、組織は急速に腐り、分解していく。そういう実例もあることから、この矛盾の解消が難しかった。

 

しかし今、「この仕事を完遂させれば、組織に貢献しているという手応えが得られるかどうか」という基準で考えれば、物事がスッキリすると思えている。

 

リーダーの仕事は、成果に繋がる仕事を生み出すことにある。そしてメンバーの仕事は、それに取り組んで、一緒に大きな成果を作ることにある。

 

リーダーはリーダーの仕事に忙しく、メンバーは各々の能力や役割に応じて忙しい組織が、一番活発でイキイキとする。

 

自分が楽をするために仕事を依頼するのではなく、より大きな成果のために分担するだけでもなく、そのタスクの実行を通じて、貢献感を抱いてもらうことも設計する。

 

貢献感さえ抱ければ、人はそこに居場所を感じる。雇い主と雇われ人という関係を超えた繋がりを、そこに結ぶことができる。

 

リーダーの仮面、革命のファンファーレ、ビジョナリー・カンパニー、大きな嘘の木の下で、We are lonely, but not alone。

 

ずっと読み続けて理解しようと呻吟してきた教えたちが、本当に自分の中で得心できた瞬間だった。

 

僕が皆のためにと思っていた心構えが、組織への帰属意識を得るきっかけごと奪い去っている。そう気付いた瞬間、色んな感情が込み上げてきた。

 

どの作業なら人に依頼できるかという目線では甘いのだ。貢献感を生むためには、自分がやった方が早い仕事であっても、バンバン振る必要がある

 

文化祭が楽しいのは、皆が創り上げるからだ。完全に見失う前に、気付けて良かった。気付いたからには、アクションを変えなければならない。

 

僕は堂々と人を頼ることにする。そうすることが、巡り巡って皆のためになるのだから。もちろん、僕がやるべき仕事はやったうえで、だけれども。

 

ということで今日はこの辺で。

 

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