今年、過去イチ休日が少ない。連休が取れそうになれば別の誰かが倒れ、1日休みが取れそうと思ったら振替と変更の依頼が飛ぶ。狙いすましたかのように休みが消える。
そんななので、たまにマジで休みが取れても、終わってない仕事を消化するために結局職場に来て作業をしていることが多い。これは休みと呼ぶのだろうか?
おかしいことはうすうすわかっているけど、その環境や状況があまりにも長期間続いてしまうと、それを疑うとか、改善しようといった発想さえ消える。
気付けば、現状に甘んじる。そして無自覚のまま、心身が壊れていく。おぉ、怖い。ここらで一発自分を張り倒し、やはりきちんと目を覚まさねばならない。
そう思って今日は、「仕事 休めない 原因」と、「仕事 休めない 改善」で検索をかけて、その闇をもっとクリアにしようと努めてみた。
―すると、ある真理が、たくさんの先人たちの言葉から立ち上ってきた。それは、「今頑張れば、将来休めるなんて、大うそ!!」という叫びだ。
今日はそんなお話を書く。
仕事を休めなくしているのは、環境だ!!
「仕事を休めないこと」に悩む人もいれば、「仕事を休まない人」に悩む人もいる。
だがその言わんとすることは多分同じで、なぜ特定の人に仕事が集中するのかという疑問だ。だからこれら2つの言葉で検索しても、解決策の提案は似たものとなる。
いの一番で指摘されるのが、属人化だ。つまり仕事を肩代わりしたり、別の人に依頼したりしようにも、その人にしかできないように特化しているため、それができない。
一度繁忙期を挟んで、気合と根性のヘンなスイッチが入ると、猛烈に抱え込んだ仕事を処理する中で、その人にとって最適化された仕事・業務に変質することは多い。
マニュアル通りやっていたら時間と労力が掛かりまくる、だから自分なりのショートカットを作って、それを磨く・・。結果、”その人にしかできなくなる”。
そして属人化は、作業そのものに留まらない。人と人とのウェットな関係においても、それは割と頻発する。
例えば、「○○さんだから客になっている」という顧客も無きにしもあらずだろう。これは美徳に思えて、僕は最近リスクの側面も十分に大きいと感じている。
では、この属人化をどうやって解除していくのか。ネックなのは、その仕事が専門的というより、あまりにも個人的なやり方にカスタマイズされていることだろう。
実際、やり方をオープンにできていないことが課題と指摘する記事も多く、属人化はどこの組織も抱え得る、いわばがん細胞のようなものだとさえ思えてくる。
雰囲気や環境。それによって、仕事は休めなくなるし、仕事を休めない人も作られていく。マネジメントの課題として、目に見えないが、特に重い命題である。
環境が文化を創るのか、文化が環境を創るのか。
ニワトリタマゴな話だが、環境のせいで休めない文化が創られていくのか、休めない文化が要因があるからそんな環境が創られていくのか、どちらなのだろう。
様々な事例を見るにつけると、個人の責任もそうだが、どちらかと言えばその組織の文化や風土、ひいてはそれを運営するリーダーの価値観が大きいと言える。
つまらない結論になるが、やはり所詮はリーダー次第なのかもしれない。リーダーが持つ価値観が文化として組織に定着し、全体的な環境を醸成する。
こと日本人は、休まず頑張ることに美徳を置いているのが課題とされる。年齢が高くなくても、体育会系出身だと、この思考は割と顕著である。
もし上の人がそういう考え方であれば、どうすればいいのか。ちょっぴりヒネくれた解決策としては、ちゃんとやってるフリをしつつ手を抜くというものがある。
与えられた仕事を爆速で終わらせたら、あとはこっそり自分がしたいことに時間を割く、という感じだろうか。要領は良いと思うけど、生産性が残念になる。
別の手としては、自分の裁量が及ぶ範囲では、その文化を殺すというのがある。そして僕は、こちらに取り組んでいる折である。
例えば、自分の上司は残業を推奨していても、自分のチームメイトには、「終わったら帰ってええよ」というのを推奨する。
そしてここがミソなのだが、その上で成果を立てて、「売り上げは出てますよ」と開き直る。ここまでがセットであり、つまり難度は高いが、完全に健全な一手となる。
ここをどう会社に提出するか。本気で難問過ぎてゲンナリするが、今頑張れば将来休めるなんて大うそであるのが真理である手前、頑張り方を間違えないようにしたい。
では今日はこの辺で。