精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【芸術】こそ、学校できちんと学んだ方がイイことではなかろうか。

学校でベンキョーすることで、将来的に一番役に立つものは何か。手垢だらけの質問ではあるが、皆様はどう答えられるだろうか。

 

僕は国語・数学は間違いないと考えている。英語についても、単にそれができれば行ける学校や国が増えるという理由で、余裕があればやっといた方が良いとは言うけれど。

 

しかし実のところ、31歳まで生きた今思うのだが、一番直接的に将来役立つと感じる科目は【芸術】だと考えている。

 

ここでいう【芸術】とは、絵画、音楽、小説といった全てを意味しており、どちらかと言えば【クリエイト】と表現した方がしっくりくる

 

一体これらを学ぶことで、どんな恩恵があるのか。そしてその理由は何なのか。今日はそれらをつらつらと書いていこうと思う。

 

 

人を救うのはアウトプットだと思うから。

 

科学的に人間が楽しいと思うこと、充足感を覚えるものを突き止めようという研究は、ここ数年、顕著に盛んである。

 

意外でもなんでもないのだが、その中でも特に推されているものの一つに、「クリエイト」というものがある。要は、創造的な何か、である。

 

別々のものを組み合わせて、新しい何かを生み出していく。その要素があるレクを取り入れることで、幸福感を覚えたり、精神的疲労が軽減したりするという。

 

例えば料理もそうだし、レゴもそうだ。プラモデルを作ることもそうだし、粘土を捏ねて何かを作るのもまた、広義で言うところのクリエイト、である。

 

実際僕が飽きもせず1000記事以上も書いているのもクリエイトの一つであり、確かに精神的に安定するような感覚を抱いている。

 

さらに言えば、クリエイトはある意味インプットの完成だと思う。様々な知識を書物なり観察なりを通じて取り入れて、それを組み合わせて作品を生み出す。

 

例えば絵を描くときのことを考えるとわかり易い。風景の模写をするためには、どこに何があるかの把握は勿論、細かい模様や汚れの観察も必須となる。

 

その上で、質感を表現するための技法は何か、求める色を生み出すためのコツは何か等、また更に膨大な量のインプットが必要だと気付かされる。

 

調べて、試して、修正して、また試す。それを繰り返した結果出来上がるのが作品である。結実した物の裏には、目に見えない膨大で立体的な努力が集積されていると思う。

 

―こんな風に、本当の意味で勉強になりながら、かつ精神を救いうる活動として、【芸術】は本当に有益だと感じている。

 

だがなぜだか、学校教育において、その重要性は低めである。もっとも、そんなのやる暇あったら受験勉強をさせろといった声が上がるのは、ちょっと納得する面もあるが。

 

それゆえ、クリエイトのやり方を知らないまま社会に放り出される生徒が非常に多いと感じている。

 

僕も義務教育を終えた頃は勿論、大学を出た頃も、よくわかってなかったほどだ。学校にいる間に、体系的に小説を書く方法とか、教えてくれても良かったもんだと思う。

 

少し話が反れるが、【芸術】が本当に無用なものであるならば、芸術家たちは今の今まで全く評価されないまま、闇の中に消えているはずである。

 

しかし歴史を勉強すれば、必ずそこには【芸術】が登場する。それこそ時代も世界も選ばない。太古の時代から、人は何かを創り、それに感動してきたのだ。

 

それを考えても、正直【芸術】は、国語・数学・理科・社会・英語と同じくらい、人類の生活や風俗に深く入り込んだ活動の一環ではないかとさえ思う。

 

繰り返しになるが、小説の体系的な書き方とか、作曲の手法とか、絵画の技法とか、もっと言えばその全てに活用可能な観察の方法とか、もっと教えればいいのにと思う。

 

今となっては「Midjourney」とかに指示を出せば、絵心ゼロでも絵が描けてしまうのだ。【芸術】にはもう、センスも才能も、ほぼ求められていないのである。

 

―まぁ一番のネックは、【芸術】を修めながら同時に教員免許も取れるような人材がほぼ居ないことに尽きると思うんだけれどね。

kyoin.co.jp

 

そんなどうにもならない闇に軽く触れたところで、今日は終わりにしておきやす。

 

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