仕事を早くスムーズに進める心掛けとして、実は一つ、全く腑に落ちていなかったヒントがある。それは、「仕事は溜めず、仕事を頼め」というものだ。
というのも、それは仕事の丸投げではないかという感想を持ってしまうためだ。例えば「最強の働き方」という本にも、似たことが二流の所作として紹介されている。
それよりかはむしろ、(ソースが眉唾ものだが)豊臣秀吉の逸話みたく、自分がまず動いて、それから人を頼るという順番が正解だと、半ば確信しているくらいである。
ある日、上司の命令で大きな石を動かすよう指示された家来たち。どう考えても簡単には動かせない巨石ということもあり、家来たちは仕事に取り掛かるのをためらってしまう。
ここはチャンスとばかりに秀吉は立候補するが、一人で大きな石を動かせるはずもなく周囲に協力を求めるが誰も手を貸してはくれない。
黙々と一人で作業に取り掛かったが、数日が経っても石はビクとも動かない。それでも秀吉は諦めることなく、昼夜をかけて取り組んだ。
はじめはバカにしていた周りの人も必死に取り組む秀吉の姿を見て、一人、二人と協力し始めていく。そして、石を動かすことに成功した。
このとき、秀吉は悟ったと言う。「始めから頭で考えたり頼ったりするのではなく、まずは自分が動く。そうすることで周りを動かすことができる」と知ったのだ。
人が面倒だと思うこと、嫌がること、出来ないと思うことに率先して取り組んだ秀吉は、積極的に行動を起こして数々の功績を上げている。
・・・ところが最近、そのやり方だと結局スケールが小さいことしかできていない自分にも気が付いている。誰も頼らないのは、誰も頼れないのと同じ。
頼れないということは、チームで仕事をしているわけではないということであり、何なら校舎の長になった意味が無い。そこまで気付いたところで、ゾッとした。
むしろ、スケールが大きい、あるいはリーダーとして有能な人ほど、フットワークが軽く、自分の実働に対して極めてシビアだ。自分にその観点があっただろうか。
今日はその反省文を、記事という形でまとめておく。
ダメなのは丸投げで、依頼はむしろそれがリーダーの仕事。
僕が勘違いしていたのは、丸投げと采配を同じものとして考えていたことである。例えばろくすっぽ詳細も告げずに「やっといて」というのは丸投げだ。
しかし、「こうこうこういう理由と事情があって、あなたに依頼したい。期限はいつまで」という風にすれば、それは依頼だし、いわば采配ではないか。
そして依頼や采配が上手く機能しているチームは、非常に活気があるし、成果も上手く創れていると考えて、全く差支えは無い。僕はそう考えている。
逆に、リーダーがリーダーの仕事をせず、現場にずっといるのは、そりゃもう呆れて物も言えないレベルで失格であると説く本にも、多々出会ってきた。
「まずは自分から」という考え方でいる限り、どこかで必ず渋滞を起こす。その渋滞を根性論で解決しようとすると、休日発射がスタートする。すごく論理的だ。
逆に言えば、休日発射・時間外労働が”リーダーに”発生している場合、その仕事の振り方・構え方に、まず間違いなくエラーが起きている。
その前提で自分の働き方を振り返ると、まさにその通りだと思えてきた。なんか、自分のチームに居る人全員に、謝りたいくらいの気分である。
時に僕は、プレイヤーとして過ごす時間が、1日の全てを占めることさえある。これはどうなんだろう。
選手兼任監督がベンチを出て、ずっとフィールドに居るようなものだ。僕の組織はそんな分散型のものか?いや、もっとヒエラルキー構造をしているじゃないか!
もっと自分の為すべき仕事をきちんと見定めて、”チームとして”成果を生んでいく。とりあえずその一助として、まずは自分が持つコマ数に上限を設けようかな。
視点を変えるのは簡単じゃないし、現状もそれに伴ってすぐすぐ変わるわけではない。だから腰を据えて、時間軸を見誤らないよう、取り組みたいと思う。
では今日はこの辺で。