「メガネをかけかえる」という考え方がある。元々は観察力の鍛え方という本で知った言葉で、すごく乱暴に言えば観点を意識的に変える、と言った意味で用いる。
僕はここ最近、仕事において望ましい分人を意識的に作り、その分人を通して思考し、振舞いを決めるという、いわば一種の演技にずっと挑戦している。
何かしらのリスクがあるような気がするが、ここ最近は精神的に非常に平穏で、今までは気に病んでいた生徒の言動が、いい意味でどうでもよくなってきている。
―この一種の演技(もとい感情労働)と、メガネのかけかえは、非常に近いところというか、同じことを言っているのではないかと、最近は納得しつつある。
つまり、メガネをかけかえるための方法として、観察力の鍛え方で紹介されていたヒントたちは、そのまま社会的分人を作るための方法として用いられるのではないか。
そんなことにふと気づいたので、意識的に試している最中だ。現状数日しか経っていないのだが、その効果はてき面だと感じる。ストレスがまた減ったのだ。
てことで今日は、「感情」を脇に置くための、自問自答のススメと題して、記事を一つ書いてみようと思う。
「あの人ならどう考えてどう行動する?」
その方法をひっくるめると、「自問自答」だ。これ自体は今まで読んできた本やインタビューで知っていたのだが、腹落ちしてなかったので、使ってこなかった。
簡単に言えば、「〇〇さんならどう考えるだろう」とか、「理想的な塾講師ならどうレスポンスするだろうか」という観点で、目の前の出来事を考えるという感じだ。
これの面白いところは、自分の本心はどうでもいいことにある。つまり、感情より論理が勝る、という点にある。
例えばはしゃいでいる子供がいたとき、行うべき自問自答は2ステップあると思う。まず1つは、「他の生徒の迷惑になっているかどうか」だ。
教室にその生徒しかいないなど、他に迷惑が掛かっていない場合、別に目くじらを立てて叱る必要はないと言える。いわゆる積極無視という手段で良いわけだ。
しかし、周りに生徒がいて、不快な顔をしているのであれば、話は別。論理的に考えれば秒で、「行動を叱る」というのが、”場を制御する者として”正解になる。
こういう風に感情を脇において行動をできるので、正直メンタルを酷使させるという実感が無くなっていく。つまり、疲労が激減していくのだ。
正確に言うと、感情や疲労よりも、忠実に演技することそのものに意識が向くため、そういったメタが黙る、という感じに近い。
しかしながら、本心をどっかにやって、公式に放り込んで数値を出すようなことを延々と繰り返し続けると、心が壊れるという実例もあるため、無対策はちょっと怖い。
そこで改めて有意義になってくるのが、いわゆる休日の存在だと言える。自分が素になれる、もとい演技の必要が要らない空間に身を置いて、本心と向き合う。
僕自身、休日は任意であり必須ではないと思っていたのだが、積極的に確保しておかないと、自分を見失うという未来しかないという危惧が、やっと腹落ちしてきている。
「感情」を脇に置くため、自問自答をすることは間違いなく効果的だ。ただし同時にこれは、一種のドーピング的な意味合いを持つことも、しかと認識せねばならない。
・・・とはいえ、素の自分をさらけ出して、素の自分で顧客と相対すると、結果として猛烈に疲弊していく場合、やはりペルソナは必須である。
僕の場合、それは徹底して演技をすることであった。まだ暫定解だが、今のところはそれで大枠は外していないと実感している。
感情に向き合うことも、もちろん大事だ。しかし時には、感情を認識しつつ、邪魔だと思うなら、脇に置いておく思考も大事となる。
最近読んでいる本の影響もあるが、数学の問題を1題解くなんてことを日課にしてもいいかもなと、そんなことも思った。
では今日はこの辺で。