精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【応援される人】の共通点は何か?そしてそれは、再現可能なのか?

何度か軽く紹介したが、話題作の【夢と金】は発売日に買って、既に3回ほど通読している。

 

読書感想文を書く気は満々なのだが、あまりにも低い解像度の適当なそれを書くのは物凄く気が引けるので、もう少し腑に落としてからまとめようと思っている。

―そんな中で一番手触り感が自分に無いのが、【応援シロ】についてである。皆から応援される人や会社は、何が違うのか。そして、どういう共通点があるのか。

 

一番疑問に思うからこそ、アンテナの感度は高まる。そしてその仮説をもって色んなコンテンツに触れるうち、ようやく少しだけ、輪郭が見えてきたように感じる。

 

ということでその仮説がふわっと消えてしまわないうちに、急ぎ文字に残すことで、頭からきれいさっぱり消えないようにしておく。では以下、本題である。

 

 

僕が抱えているのは、顧客か、ファンか。

 

なぜ人から応援してもらう必要があるのか。これが大事な理由を考えるには、まず顧客とファンの違いを考えなければならない。

 

顧客とは、その店なり人なりに、”機能”を求める人たちだ。例えばラーメンが食えればどのラーメン屋でもいい、という感じ。

 

一方ファンとは、その店なり人なりに、機能以外の部分で価値を見出している方々を指す。著者はこれを”意味”だと紹介していた。

 

そして、前者である「機能を求める顧客」を相手にした商売は、そもそもの客数が減っている現代において、まさに血だまりのレッドオーシャン状態である。

 

理由は、例えば美味しいラーメンが食べたい人にとっては、誰が作るかなんてどうでもいいからである。よりおいしいか、より安いところに、簡単に流れる。

 

利用している店は単に機能が気に入っているからそうしているだけであり、仮に閉店したところで、また別の似た機能のところを選ぶだけだろう。

 

しかし、ファンは違う。機能とは別の理由があり、その人や店を選んでいるからこそ、ある意味値段は高くても買ってくれる。

 

極端な話、店主にありがとうと言ってもらえる権利という謎の物も、納得したうえで購入してくれるだろう。そのコミュニティの外から見れば度し難い行為ではある。

 

ファンをたくさん抱えれば、困難な状況下でも支えてくれる。決して見捨てられない。しかし顧客をたくさん抱えていると、困難な状況下では簡単にそっぽを向かれる。

 

これは自分事で考えてもわかり易い。近所のコンビニが潰れても僕は別に困らないが、長年利用している美容室が閉店しては困る。金銭面でお困りなら、絶対支援する。

 

自分の暮らしの中でも、注意して観察すれば、機能を求めて使っているものと、ファンだから使っているものに分かれていることに、すぐ気づけると思う。

 

僕にとっての前者は飲食店やスーパー、歯磨き粉等であり、後者は美容室、釣り具、好きな著者が書いた本がそれに当たる。

 

―となれば、意地でも知りたくなるのが、一体どうすれば顧客はファンになってくれるのか、だ。おまけに僕はインフルエンサーでもなんでもない。ただの一日本人だ。

 

そしてその方法は、【夢と金】で紹介されていた。導入がえらい長くなったが、それこそが【応援シロ】だ。そこを意識的に設計できれば、顧客をファンに変えられる、と。

 

次項ではそれを説明したうえで、僕が現在なんとなく掴んでいる輪郭について、改めて書いていく。

 

なんで【応援】したくなるのか?そして【応援】とはなにか?

 

【応援シロ】とは、算数で表せるという。その公式は、「目的地―現在地」だ。すごくわかり易い例えとして、「海賊王―現在のルフィ」=応援シロというのがあった。

ameblo.jp

 

ここを明らかにし、発信し続けることで、そこに応援する余地が生まれる。これこそが【応援シロ】の正体であり、ここを意識しない広報は、全て失敗なのだという。

 

正直、完成した製品を売ることで、市場にその価値を問うのが正解とずっと思っていたので、現在地の共有が正しいということに、僕は最初かなり戸惑った

 

出来上がっていないプロダクトを見せるのは、ある意味で失礼なことではないか。そんな風な抵抗感が、正直ある。

 

しかし、自分が戸惑うから正解ではないなんてウンコみたいな帰結は論外だ。そう踏みとどまって、色んな例を観察していると、その具体例が次々と見つかった。

 

例えば、僕がここ最近ずっと観ているYouTuberは、目的地と現在地の共有が完全に設計されている

 

何を目指していて、現状はどこで、さらに言うと課題までもが明確なのだ。夢のためにはこれが必要で、そのためには人手と知識、お金が足りない、という風に。

 

―では、そういう風に窮状をアップし続けることが、応援シロの正体なのか。ぶっちゃけもしそれが正しいのなら、言葉は悪いが、物乞いが現代最強の職業になる。

 

むしろ、応援によって、きちんと目的地に近づき、感謝し、また新たな目標を設定して、報告するというサイクルを回し続けることが、その言わんとすることではないか

 

その仮説を基に、僕が「【応援シロ】があるな~」と直感的に感じた人達を観察すると、大枠としてその通りだと思うに至っている。

 

そして、もう一つ共通点に気が付いた。それは、その人自身が何かしらの製品・商品・サービスを販売しているということだ。

 

ある人はアパレルブランドを経営し、ある人は自分が館長の施設をオープンしている。それこそ、全員が示し合わせたのかというくらい、そうなのだ。

 

では、そうやって何かを「販売」することで、ファンは何ができるようになるのか。そう、【応援】ができるのだ。

 

もっと言えば、それらの製品を購入したり支援したりすることで、その人にお金が渡せる。夢と金は直結している。僕らの支援がその人の夢に繋がるなら、支援したい

 

そのチャンネルがたくさんあるということなのだ。そしてここは、僕にとって盲点だった。僕は【応援シロ】を設計するだけじゃなく、応援する方法も用意すべきなのだ

 

実際、ずっと好感を抱いていたゆっくり解説系のYouTuberが、先日、本を出すと発表した。それを知った2分後に、僕はもうAmazonでその予約を完了させていた

もちろんその内容が面白そうというのも、購入に踏み切った理由なのだが、直接的な決め手はもっと感情的で、衝動的なものだ。

 

どうしてなのか自問自答してみたが、「いつも面白い動画をありがとう」という気持ちを伝えたいと思ったのかな、というのが暫定解である。

 

この辺りまで考えたところで、僕の中で何かが繋がり始めた。

 

機能ではなく意味を売る。応援シロを徹底的に設計し、運営する。夢に向かって着実に進む。感謝を伝える術を数多く用意する。

 

【応援】という言葉の意味が、もう少しで更新されそうだ。そんなところまで来ている。しかしそのためには、まだまだ実体験が足りない

 

僕の現在地はどうやらそこのようだ。机上の空論を脱し、現実世界での試行錯誤に落とし込む。痛みを知りながらも結果を積み重ねていく。泥臭い話に乗りだす段階か。

 

―ということで全く結論めいてないのだが、この記事における暫定解だけシェアしておく。

 

【応援される人】というのは技術であり、それを意識して修得することで、十分に再現は可能である。しかしまだその言語化が、僕にはできない。

 

という感じだ。しかしながら、この問いに関するアンテナはバリバリに張られている。生きてるだけでヒントは次々に拾えるはずだ。なんと心が躍る話だろう。

 

また何か気付いたことがあったら記事にします。ってことで今日はこの辺で。

 

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