今日は色々あって、本来アポとして入っている授業が2つも飛んだ関係で、言葉悪く言えばクソ暇であった。
こういう退屈な時間は、戦略の立案と言った、沈思黙考と相性が良い何かを考えるのに使いたい。だから自習室の奥に引っ込んで、あれやこれやと勉強を重ねた。
―しかしながら、いくら頭を抱えても、なんなら物理的に少し揺すっても、ロクなアイデアはまるで出てこなかった。20数分のコストは、回収できずに終わってしまった。
【夢と金】を読んでからというもの、ファンの創造には心を砕いている、つもりだ。もちろんまだまだアマアマなのだが、稚拙ながらも真似をしようと頑張っている。
ファンの創造のためには応援シロを残し、それを発信することが大事。では応援シロを生むためには、打ち込めるイベントといった目標を用意してあげねばならない。
となれば、皆が参加したくなるようなイベントを作るには、丁寧な雰囲気やシステムの設計が大事となり・・・という感じで、考えれば考える程、マトリョーシカである。
ドミノの1枚目は一体何なのだろう。何を倒せば、このアイデアを閃くことができるのだろうか。とりあえず、大量の知識や実例を頭に叩き込むことだろうか。
それもまた一つのトリガーになりそうだが、実感として、その作業は、ドミノを倒すという動作を指していて、決してドミノそのものではないように感じている。
・・・そんなところまで考えてふと思った。すごく簡単なところに、そのヒントがあるじゃないか、と。
すべての始まりは、意外なところにある。その正体は意外でもなんでもないのだが、僕にとっては盲点だったため、割と意外性を覚えた。今日はそんな話を書いてみる。
いいアイデアは、なぜ飲み会で生まれるのか?
公私関係なく、「これはイイ!」と思ったアイデアをどこで閃いたか、ちょっと思い返してみた。これは例えば風呂や布団の中だの、寛いでいるときが本当に多い。
しかしながら、では風呂に入れば必ずいいアイデアを閃くのかと言えば、決してそうではない。その時間の前に、”材料”に当たる何かが要るように思える。
そんなときに頭に浮かんだのが、斎藤一人さんの講話?だ。すごく不思議で、どこかスピリチュアル感もあるが、この指摘にはすごく腹落ち感がある。
ということで紹介すると、その教えとはこんなものだ。
神様のメッセージを受ければ、行きたい道に行けるよう、導かれていくんです。
そして、必ずうまく行くんだよね。
あなたも同じような経験があるんじゃないかな?偶然入った喫茶店に置いてあった雑誌を読んで、仕事のヒントをもらったり、たまたま出かけた場所で、ずっと会いたかった人に会ったり。
神様からメッセージを受け取るためには、絶対的な法則があるんです。それは、自分が楽しんでワクワクすること。
人生を深刻に考えず、楽しむこと。これが、運をつかむ鍵だからね。
楽しんでいると、すごいアイデアを神様からもらいやすくなる。
・・ドンピシャで思い出した話とは少し違うのだが、「心をプラス向きにしていると、いいアイデアが得られやすくなる」という大意は、ほとんど同じだ。
これは結構その通りだと思う。例えば友人と気が置けない飲み会をしている際に、何故か大事なアイデアを思いついたり、悩みの別解を閃いたりするように。
これは人とアイデアを語らい合う場こそが、アイデアを生む土壌であることの証拠だとずっと思っていた。
しかし正確に言えば、自分が楽しい気持ちに心からなれているときこそ、アイデアが降ってくるものだというのが、実際のところだとしたら?
仮に僕一人が頭を使わねばならない場面だとしても、その前に何らかの方法でテンションを上げておけば、アイデアを得られやすくなるということにならないだろうか?
これは試したら面白そうな仮説を得られた。ってことで早速、やってみた。自分のメンタルを持ち上げた状態だと、思考はどう変わるのか。
以下その実験レポートである。
笑えばいいと思うよ。
正直、誰かと死別したといったレベルでない限り、これに触れておけば最低でも気分が平常ちょっと上にまで戻せる何かが、僕にもある。
それは、色んな人の天然エピソードを読むことだ。特に最近好きなのは「長嶋茂雄」氏と「柳田悠岐」選手のそれらである。
面白いエピソードで打線を組んだチーム同士がリーグ戦をできるレベルの伝説の数々に、5分であっという間に気分は上向きで、なんか楽しくなってきている。
そのフェーズを経た今、僕の心の中のストッパーはどうなったか。それはイイ感じで外れていることを実感しており、ぐるりと校舎を見回しても、アイデアが浮かぶ。
「ここをもっと掃除しよう」「こんな掲示物を出してみよう」「今日のストーリーはこんなのをアップしよう」という風に、不思議とワクワクしてきている。
どんな小難しい単語を並べたところで、結局ドミノの一枚目は、自分が楽しい気持ちでいることなんだ、と。面白い発見だ。知らなかったのかという指摘はさておき。
それに気づいたら、仕事を遊びのように楽しんでやる必要性が、本当に身に染みて理解できるようになったように思えている。
まず、幸せな気持ち、楽しい気持ちになること。そこからドミノが倒れていく。上機嫌の大切さが、また一つ上のステージで、腹落ちした瞬間であった。
では今日はこの辺で。