こないだ記事にした通り、僕は講師として特化する未来を諦めることに決めている。才能や能力の限界というより、熱量の枯渇という感じに近い。
しかしそれだけを決めているに過ぎず、具体的に何をやりたいのか、何が引っ掛かりとなってその生き方に決めたのか、その辺がまだまだ曖昧なことも自覚している。
そこで、ここ数日、誤解を承知の上で、僕は生徒に自分の引き際について口にするようにしている。
それを繰り返すと不思議なことに、段々と自分の考えていることが、自分事として腑に落ちるようになってきたのだ。
誰かに説明することはアクティブラーニングでも最たるものの1つだが、その効果をここにきてここまで強く感じるとは。
今日はそんな驚きを記事にまとめてみる。
言語化は思考のみでは成されない。
よく考えれば合点がいくのだが、喋ったり書いたりすることを生業にする人たち程、自分のビジョンや胸の内をしっかりと認識している印象がある。
それがプロのレベルにまで昇っていくと、それは例えば小説家になり、あるいは講演家になり、という感じではなかろうか。
つまり、言語化を達成するのに必要なのは、じっくりと内省を深めることだけではなく、試行錯誤しながらアウトプットする作業もそうなのでは、と強く思う。
自分が考えてきたことを、人に伝えるために加工し、都度再考する。このスパイラルが、自分の理念や信念を言葉にするためにマストなのだと、とても納得している。
・・・そんな僕だが、生徒に引退について語る中で気付いた、自分がしたいことはなんなのか。
以前までは、この標語にまで落とし込んだ時点で、満足していた。
「常に変化を楽しむことを前提とし、今の目標や努力、さらにはその途上で得た学びをシェアして、皆がさらに成長していく環境」
しかし、そこからさらに詰める努力をしていなかったというか、更に詰められるとは思っていなかったため、実は今年の4月頃から、この辺については進展がゼロであった。
それを改めて生徒に語っていくと、より端的に、かつ具体的に、自分がしたいと思っていることがどんどん口を突いて出てくるからこそ、我ながらかなり驚いている。
僕は自分が講師としてバリバリに生徒の成績を上げるという未来ではなく、もっとスケールの大きい話を目指したい。
僕は生徒の成績を上げて喜び合っている、講師と生徒の姿が見たい。こっちの方が手応え的には本心であった。
そのために必要なのは、やはり場だ。僕は場を創ることに主軸を置きたい。そう悟った。どの切り口から生徒に話を始めても、着地点はそこになる。
では、創りたい場とは何か。ここはまだまだ言語化はおろか、辿り着いて間もない問いの起点なので、何一つ浮かぶものはない。
だからここもいずれ、生徒なのか、同級生なのか、先輩なのか、どこかで捉まえて話をすることで、腑に落としていきたいなと思っている。
これを日々の学習に転化するなら?
っていう独り語りに終始しても良かったが、せっかくなので、このことを学習に活かす方法についても書いておく。
自分が理解したいテーマについて、それをさらに深く落とし込むには、究極誰か友達をひっ捕まえて、授業をすれば、それが一番効率的だし効果的だ。
なんなら、家にあるぬいぐるみを相手に一人語りをしても、効果は十分にあるのだという。しかしそれ自体、ハードルが高いという人も多い。
そこでオススメしたいのが、疑似再現に過ぎないのだが、教科書を読んで覚えた知識を、何も見ずにルーズリーフか何かに書き出すというものだ。
例えば、理科でも社会でもなんでもいいので、教科書を見開き2~3ページ程度読む。そのうえで何も見ず、何が書いてあったか、自分の言葉で書き出していく。
これだけでも、相当頭に負荷がかかるし、結構長期で残る記憶を作ることが可能だ。ぜひお試しいただきたし。
ということでまとまりのない謎の文になったけど、今日はこの辺で。