生徒からも「毎日校舎にいるけど、いつ休んでるの?」と言われるくらい、最近は働き詰めである。恐ろしいのが、まだ夏季講習の前だという点だ。
つまり真のデスマーチをこれからに控えているのに、既に去年の大変さを遥かに凌ぐ仕事量に追われているのが今の僕なのだ。それは心配されても無理はない。
ちなみに先の生徒からのコメントについては、「運が良ければ7月にフル休みがもう1日ある」という風に答えている。この運の良さは、ざっくり確率にして50%程度である。
さて。そういう風にじたばた過ごしていると、当然身体に変化が起きるところも出てくる。身体というか、最近メンタル面に、はっきりと違いが出てきているのだ。
それはアウトプットの拒否である。授業はあんまり影響ないが、できれば人と話したくないし、できれば電話したくないし、できれば資料も作りたくない。
要するに頭を使ったことに対し、気力がゼロに近いところをここ最近ずっと走っている。面談が終わるたびに、外から見えない死角で息を切らしているくらいだ。
内向的な特性故、他者に対しアウトプットを行う場全てがものすごく消耗する。だから回復の時間が要るのだが、それが全く間に合ってない。
そんな話を昨日記事にしたと思うが、それでさえも、1500字を書き出すのに平素の1.5倍は時間を取られているわけで。
ということで今日はある種の諦めの記事として、こういう風に頭がアウトプットを拒否した際、僕が心掛けていることを書いておこうと思う。
では以下、その内容である。
好きなことをインプットしながら、外向きになるのを待つしかない。
こういうときに心掛けているのは、無理に心を外向きにしようとしないことだ。例えば熱いメッセージを読んで、自分に喝を入れまくるような感じである。
過去にはそうしようと頑張っていた時期もあるが、まるで効き目も無ければ、マイナスに作用するばかりだったので、ほとほと懲りている。
これはいわば、骨折した状態で、「骨が折れたのは身体が弱いからだ!」と考えて筋トレに励むような暴挙だ。そういうモデルで考えると、僕の行為のアホさがよくわかる。
だから今はどうしているかというと、なるべく仕事をしている(スイッチが入っている)ときでも仕事量をセーブし、回復を徹底して優先する。
そして家に帰ってからも、例えば料理とかそういうアウトプットに当たるものは、意識が拒否する限り、絶対に手を出さない。
つまり、省エネを維持して体力と精神力を節約し、回復がダメージを上回るまでじっくりと待つことを自分に許す、というスタンスで構えるのだ。
その間己のメタが「そんなんでいいのかよぉ」と五月蠅いのだが、「うるせえわバカ」とそれと戦うことを最近は覚えつつあるので、あまり苦にならない。
そんな生活をここ4~5日意識しているが、その成果か、今はネガティブや疲労の底を叩いてバウンドし、穴の入り口に向かって上昇している予感はしている。
心は抑うつ的な思考によって圧をかけ続けるのを止めると、吹っ切れたところで跳ね返って、割とあっさり平素の地点に戻ってくるらしい。
根性論を卒業し、熱いメッセージや呑気過ぎるアドバイスを無視し続けて今の方法に辿り着いているが、間違いなく性に合っていると感じている。
ということで乱暴にまとめると、頭がアウトプットを拒否したときは、何もしないということを徹底する。自分にとっての娯楽に触れること以外、何もしない。
そうしていく内に、ネガティブな気分に浸っている自分に飽きてくる。飽きとは、今自分が向き合っているものとは違うものへのやる気を意味する。
落ち込んだりがっかりしたりめそめそしたりぐったりしたり。そういうのに飽きるまで、それに浸るのだ。大抵、寝て食べていれば、数日もせずに飽きるから。
疲れたら、飽くまで待とう、脳みそさん(字余り)
これくらいテキトーに構えた方が人生楽しいよなと、そんな志の低いことを考えている。
では今日はこの辺で。