精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

激務で折れる人と強くなる人の違いはなにか?

ここ最近ずっと続いていた「面談」のラッシュが、やっと一区切りついた。終わったという実感を強く噛みしめていると、自分の身体がボロボロなことにも意識が向く。

 

僕ははっきりと、いわゆるパワータイプなワーカホリックにはなれないと思っている。疲れたら休む必要もあるし、強くなるためには鍛える必要もある、と。

 

ビジネス系インフルエンサーの説くハードワークは、僕にはあまりにも劇薬になる。しかし、負荷が無ければ永遠に成長も見込めない。

 

こういうバランスを考えていると、ボディビルダーのリー・ヘイニー氏のセリフが思い出される。

 

Exercise to stimulate, not to annihilate. 

(刺激するために運動するんだ、壊すためじゃない)

https://www.brainyquote.com/quotes/lee_haney_295632#google_vignette

 

負荷が大きい時期や業務と折り合いが付けられず潰れる人も、上手く成長の糧としてとして乗り切れる人も、この世には両方いる。

 

そして自分は現時点のままだと、前者であることも自覚している。その違いをしっかりと認識し、自分を破壊しないように留意しなければならない。

 

だからこの記事を通じて、改めて自分を見つめ直してみようと思う。疲労困憊していると実感している今だからこそ、だ。

 

ではいこう。

 

 

成長=回復>負荷


とはいえそんなに難しい話ではなく、筋トレと同じで、与えられる負荷に対して回復が勝っていれば、破壊にはならず成長として作用すると考えている。

 

問題は、負荷が回復のキャパを超えていて、ジワジワと破壊に振れているときの兆候を如何にしてキャッチするかという点にある。

 

肉体は動かなくなるだけなのですごく簡単だが、精神は本当に難しい。僕は過去に一度破壊した経験があるだけ、まだ認識しやすい方だとは思うが、それでも、だ。

 

今のところあの頃みたく、徹底的に無気力になるとか、酒を飲まないと眠れないとか、車を運転しながら涙が止まらないとか、そういうのはない

 

代わりに、自分がしたいことを阻害されると、平素の何倍もイライラするようになりつつある。これはまた別ベクトルからの、破壊の兆候ではないかと思うわけで。

 

特に今週は、精神を切り詰める面談という場を20コマ近く設けているからこそ、精神のゲージの削れ具合は尋常じゃないと踏んでいる。

 

メンタルのゲージの充填方法は、食って寝れば治る身体の方と違い、方法を間違えれば全く回復しないだけじゃなく、下手すればもっと悪化するのが厄介だ。

 

最近読んでいる洋書の教え通り、完全に一人の空間を作って、心と頭を空っぽにすることで、じっくりと満たしていくしかない。

 

心の疲れは、退屈の中でしか癒されないのだ。少なくとも、僕にとっては。例えばここで、友人を集めて酒を飲んでも、気苦労による精神疲労の方が確実に勝る。

 

独りで横になり、独りで本でも読みながら、そして〆に独りで酒を嗜む。それでいいし、それがいい。それでもしんどいままなら、また考えるだけだ。

 

・・・ちなみに、精神の方が回復に振れ始めたら、どんな兆候が出てくるか。思うにそれは、仕事で活かしたいアイデアが自然と湧くようになってきたら良い方向だと思う。

 

今のところ、しなければならない課題は視界の端に見えつつも、考えたくない自分が勝っている。ここはケツを叩くべき場面じゃない。休息を入れるときだ。

 

何も1週間かそこら仕事をほっぽらかすわけじゃない。せいぜい1日か2日だ。そう割り切って、自愛することにする。

 

ということで皆様も、自分の肉体や精神が、ちゃんと「回復>負荷」という不等式を満たし続けられているか、今一度振り返ってみてはどうだろうか

 

逆であれば、取り返しがつかない破壊に行きつくこともある。ここを乗り切れば、という踏ん張りによって、最後の一段を踏み切ることなかれ。

 

では今日はこの辺で。

 

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