何度か白状した話だが、僕は昔、2ちゃんねるのまとめスレッドにハマっていた時期がある。
石を投げる側にいれば投げられない。そういう器の小さい自尊心が、僕をそうさせていたのではないかと今は分析しており、つまりその時期の自分はあまり好きじゃない。
そんな時分、特に敏感になっていたのは、いわゆる「冷笑系」だ。「〇〇する人って~ww」というタイトルがついた、あれやこれやである。
例えば「彼氏が軽自動車だった、別れようかな」とか、「男なのにデオドラントするやつwww」とか、そういう系統。書きながら虫唾が走るのはなぜだろう。
さて。当時の僕は、これらに対し、あまりにも無垢で素直だった。「なるほど!軽自動車に乗っていたらバカにされるのか!」という風に。アホである。
こういう冷笑の声を浴びないように振舞い続けることこそが、いわば社会へ参画するために必要な努力だと勘違いしていたため、この頃の僕は本当に愚かだと今は思う。
それにそもそも、冷笑の声に従い続けると、多分色んな人から避けられて、結果として孤独になる未来が待っているのではないだろうか。(ついでに不潔にもなる)
今日はそんな話を、なるべくロジカルに書いてみたいと思う。
「冷笑の果て」
冷笑は、思うにもっとも手軽な自己肯定の術である。小難しく言えば、自分が属していない集団をとりあえず小馬鹿にすれば、それができるからである。
例えば「男でもまゆ毛やすね毛を整えよう」という広告があったとする。
それに対し、「チンピラwww」とか「すね毛剃るとかwww」と返すだけで、冷笑そのものは完了する。
しかも理由付けや、予想される反論への回答の用意等も要らないのだから、気付けばそれに依存することもしばしばだろう。
乳首を透けさせるおっさんを否定する女性たちを「イケメンならセクシーとか言うんだろ?」と吐き捨てれば、どこかこき下ろした気になれる。
服装に気を遣う奴らを、「雰囲気イケメンなだけwww」とバカにすれば、自分たちにこそ優位性があるような振る舞いをすることはできる。
ただ、書いていて、すごく恥ずかしくなる。自作の詩をうっかり落として、誰かに読まれることと同じくらい、むず痒い。
冷笑とはやはり、個性の切り売りだ。否定して、バカにして、自分の現在地に無いもの全てを嘲っていると、本当になにも残らなくなる。
しかも、冷笑とは「その反対を自分はやってます」という表明になることも、覚えておいた方がいい。
例えば「筋トレするやつキモいwww」というやつは、「俺は筋トレしてないよ」というメッセージも同時に発信しているということだ。
すると結果として、冷笑ばっかりするやつを紐解いていくと、大体全員恐ろしく清潔感がないヤツになりそうで、それこそなんか可笑しくなる。
まゆ毛もすね毛も整えず、おしゃれもせず、筋トレもせず、乳首を透けさせる。こんなのの側には、正直居たくない。痛々しいからだ。
冷笑の声に従うとは、こういう程度の低い自己肯定の自慰に付き合うことに他ならない。
冷笑されるか清潔感を失うかなら、冷笑される方が何億倍もマシだ。僕はそう考えている。
「あなたのしたいようにしなさい」
これに関して、最近自分の中で意味合いが更新された言葉がある。ざっくり言えば、「あなたが何をしようと反対する人はいる。自分の声に従いなさい」というものだ。
これに関しては、「気を強く持て」というメンタル強者に向けたアドバイスだと思っていて、自分には関係ないものだとどこか感じていたのだが、今は逆だ。
僕はこの言葉を、「どこに行っても冷笑野郎は居るから、そんな声はガン無視して、したいことをした方が良いよ」という等身大の助言だと感じ取っている。
正直、本当にこの言葉は真理だ。それこそ何をしようにも、冷笑してくるアホは(主にネットに)ごろごろといるため、声を聞くだけ人生を損した気持ちになってしまう。
髭を伸ばせば「髭のあるやつは不潔ww」という奴がいる。でも、「ヒゲメンはカッコイイ!」という人もいる。つまり、何をどうしようが同じことなのだ。
であれば、自分がまだ「したい」と思うことをやった方が、手にする成果がある分、論理的に考えても選択としてそっちを取らなければタダのアホである。
身だしなみにこだわりたいならこだわればいい。世の中には「オシャレとかww」という奴もいれば、「オシャレすらしないとかww」という奴もいる。
そして僕は、オシャレすらしないとはすごくダサいよなと思っている。だから人並み+α程度に、身だしなみには気を配れるよう心掛けている。
ということでやはり、万人から嫌われないことは無理だとわかる。だが同時に、どういう奴らから嫌われるかは選ぶことができるともわかる。
少なくとも僕は、眉毛を整えることをイキると評する奴らからは、むしろ嫌われたい。そいつらと同類と扱われると、失うものが多すぎる。
冷笑を避け続ければ、万人から避けられるとか、本当になんという皮肉だろう。高校の頃の自分に全力で授業をしてやりたいくらいである。
だがそれは叶わぬ夢。だからここに書いておいた。悩める生徒がいたら、伝えてあげてほしい話っちゃ話である。
では今日はこの辺で。