精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

謙虚な”だけ”のリーダーもまた、傲慢と同じくらい無責任だよなと思えてきた。

大雪のため、今日は校舎を閉めている。そうなると全ご家庭に休校の連絡を通す必要があるのだが、やはりというか、これがスムーズには通らないわけで。

 

問い合わせの電話や、連絡が通らないまま来塾してしまう生徒に対応すべく、全てのご家庭に何かしらの形で既読がつくまで、校舎でスタンバイしている状態である。


ぶっちゃけクソ暇で不毛な時間なので、どうすればもっと連絡が上手く流れるかを考えながら、ぼーっと過ごしている。

 

そんな折に閃いたのだが、一つ原因というか、心当たりがある。それは、僕が一切表舞台に顔を出していないことである。

 

今日はそれを起点に、うだうだと話を書いてみようと思う。

 

 

誰かわからんやつからのメッセージとか、まず読まないって。


僕が自分の顔も名前もあまり売っていないのは、ぶっちゃけそうすると周りから嫌な顔をされてきたからだ。そういう意味では、これ自体は正直、善の行為だと思っている。

 

しかしそれに徹した結果、いざ引き継ぐ話が出た段階になった今なのに、僕のことをほぼ全てのご家庭が知らない、見たこともないという状況が出来上がってしまった

 

つまり、現状の僕は「誰かわからない謎の社員」に過ぎないのだ。謙虚に徹した結果、存在感そのものが空気になっているというわけである。

 

この状況は、我ながら無責任だと感じている。責任を取る立場(厳密にはまだ違うけど)の人間が、他のメンバーの後ろに隠れ切っている状態にあるからだ。

 

責任を取るべき人間が、責任を取れない状況にあること。これは傲慢なリーダーとベクトルは真逆だが、恐らく同じくらいの無責任さである。血の気が引くぜ。

 

誰かわからんやつからのメッセージなど、誰も読まない。それゆえ、僕の仕事が終わらないのだ。そう考えると、色々なことの辻褄が合うし、反省点も浮き彫りになる。

 

確か【男の条件】に書いてあったのだが、「リーダーならメンバーにかかる泥の全てを被ってやれ」という言葉を体現するには、そもそも前線に出なければ駄目だ。

 

もやもやする退屈を味わいながら、そういうもどかしいことを考えていた。

 

物語は何度も語れ。


コミュニティ論を学ぶ際に本当に勉強になった本に、【WE ARE LONELY,BUT NOT ALONE】がある。

この本の中でも触れられていたのだが、「物語は何度も語らなければ、伝わらない」のだ。今ならその意味が、身に染みて理解できる。

 

僕はどういう人間か。何をあなたに伝えたいのか。内容について手を変え品を変え、僕は改めて全保護者に顔のみならず、考えていることを売っていかねばならない

 

このためにやるべき具体的施策のアイデアはあるのだが、それらはいずれも、きちんと交代してから取り掛からねば、周りと衝突する内容である。

 

面倒くさい気持ちと、もどかしい腹立たさはしっかりと心の奥で燃えているが、その熱量をうまいこと行動に転化し、謙虚なだけの人間を卒業できるよう取り組みたい

 

もちろんだからといって顔写真や自分の好きな言葉を校舎に貼りまくったらヤバいナルシストだし、気持ち悪いのでそんなことはできないが・・・・。

 

程ほどのところで、自己顕示と自己嫌悪に折り合いをつけながら、表現できればと思う。

 

ということでまだ帰れそうにないのだが、今日はこの辺で。

 

 

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