精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

僕は別に休日出勤は厭わないけど、それを前提にされると滅茶苦茶腹が立つ。

塾のシーズンがいよいよ折り返しとなる。夏休みが終われば【後期】という区分に変わり、特に小6・中3・高3が受験を強く意識して、勉強に臨む時期となる。

 

だからシフト組も変わってくる。その案が最近流れてきたのだが、それを見て正直、青筋が立ちそうになった。僕の休日・空き時間がかなり削られていたからだ。

 

―このとき、自分の不思議な性質に気が付いた。僕は自分で休日や空き時間を潰していくことに一切の抵抗を抱かないのに、人からそうされるとこんなにムカつくのかと。

 

そしてそれを踏まえて思う。人が気を利かせてくれること、あるいは身を削ってくれることに期待するのは、あまりにも危険で愚かだな、と

 

今日は自分が感じた立腹を昇華すべく、なんかそれっぽい記事を書いてみようと思う。

 

 

1つの人的資本を使い切るのは、とてもヤバ過ぎる話。

 

無理をするといえば、自衛隊といったゴリゴリの軍隊の暮らしや価値観が頭に浮かぶ。だが実際は、「絶対に無理はさせない」ことが前提にあるのだという。

 

部隊を投入して救援活動に当たったり、何かしらの作戦に従事したりする際は必ず、グループごとに期限といったリミットを設けるのだという。

 

そしてそれを超えて頑張ろうとする隊員がいたら、頑として聞き入れず隊長がそれを制するのだそうだ。管理が隊長の責任における、極めて大きなウェイトを占めている。

 

その理由は、一度人的資本を使い切ると、とんでもなく大きな負担が組織に圧し掛かるからだという。

 

人的資本の使い切りとは、大抵の場合メンタルが壊れること、つまりうつ病である。これを発症した人が組織にいると、その余波は思った以上に強大だ。

 

数日の休みで済むところが数ヶ月もの療養に変わり、短期間の業務軽減で済むところが長期間の完全離脱になる。そうなれば、目も当てられないロスを生む。

 

そしてそのロスの原因が、無理をさせてしまうことにあるのだとすれば、それをさせないことに意識を割いて、システムを組むのは、至極当然という風に思えてくる。

 

それを踏まえると、軍隊に属する人たちが無茶苦茶な鍛錬を積み重ねて、体力を日々高め続ける理由の解釈が、少し変わる。

 

あれは、もっともっと無理ができるようになるためではなく、無理という状態にならないためにやっているのではないか。

 

体力が50しかない人は、残りが大体10を切ると、赤信号が灯るだろう。しかし体力が300くらいあれば、残り30くらいになってやっと赤信号が灯るのではないか。

 

前者は健康を維持したまま40の資本を使えるが、後者は健康を維持したまま270もの資本を使えることになる。このモデルで考えた方が、組織論としてすごく自然な話だ。

 

そう考えれば、僕は僕がコントロールしてスケジュールを管理しているという意識があるからこそ、無理をしているという感覚に陥りにくいのかもしれない。

 

逆に、他力によって無理を強いられると、自分なりの体力の割り振りを乱されるから、すごく腹が立つのではないか。

 

幼稚な論理と気質だが、そう思うと腹落ち感は強い。そしてこの感覚は、むしろ消してはならないと思っている。

 

僕が誰かに無理を強いたとき、同じくらい強い反発と、それ以上の負担が組織に圧し掛かるのだから、それを感知するアンテナは敏感な方がいいためだ。

 

そういう意味では、僕が無理をすることが前提になったスケジュールには、これからはちゃんと怒らねばならないと、改めて腹を括ることができている。

 

そして同時に、自分が預かる組織では、誰かの無理が前提になっていないか、しっかりと監視しなければならない

 

まったく、このポジションに在ることは本当に難しい。だが不思議と、良問にぶち当たったときのような喜びもちょっと覚える。

 

健康第一。無理はなくそう。そんな気持ちで、無理の手前まで突っ込む所存だ。

 

では今日はこの辺で。

 

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