精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【英文読書ルーティン日記139】"THE GREAT UNKNOWN"読書感想ブログⅡ ~世界は精巧な歯車である~

理科と数学(と世界史)が混ざったような大著。それがこの、THE GREAT UNKNOWNである。正直、買ったはいいが、読める気があまりしなかった。

 

しかし、自分の中にも多少素養が溜まった恩恵か、なんとか読めるし、普通に楽しめている。僕も未知が大好きな男子だったようだ。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

精神年齢は、放っておけば勝手に上がる。それは成長ではなく、老化を意味する。堀江貴文氏の言葉を借りれば「オヤジ化」に他ならない。

 

自分のオヤジ化を食い止めるためにもなじみが無かろうがどんどん挑みたい。この本がその端緒になれば良いなと思う。では以下、本題である。

 

 

8月14日(月) 確率に手を出した者

 

直感や経験則、いわば「なんとなく」の領域に数学を持ち込んだのは、数学者でもありながらギャンブル狂でもあった「ジェロラモ・カルダーノだという。

 

サイコロを2個転がすとき、合計が9の目と10の目、どちらになる方へ賭ける方が良いか。これに樹形図に似た概念を用いてパターン化したのが彼だという。

 

あくまでも絶対的な答えを出すというのではなく、確率が高いものを導くというのが限界ではあるが、それでも運に数学で挑んだ端緒だといえる。

 

ちなみに彼の最期は、占星術により自分の死期を占い、それが正しかったと後世に語られるため、自ら命を絶ったとされている。

 

ギャンブル狂もここまで行くと、狂気を通り越して畏敬の念を覚えてしまう。

 

8月15日(火) 確率”論”へ

 

確率にまつわる数学的な話は、遂に二人の天才を巻き込んで発展していくことになる。その二人とは、ブレーズ・パスカルと、ピエール・ド・フェルマーだ。

 

二人で書簡を交わしつつ、例えば「サイコロを4回転がして、1回でも6が出るゲームには、参加すべきか否か」といった問題を解くための数学的手法を編み出したのだ。

 

その話はさらに発展し、僕には全然理解できなかったパスカルの三角形に通じるアイデアまで拡がっていったのだという。

 

しかし、ここまで来ると、未来を完全に予測するというものではなく、いくつものIfストーリーを導き出し、最もあり得る物へ投資する、という雰囲気になっていた。

 

どことなく保険に似ていると思ったが、そもそも保険の設計の根幹も確率論に根差していると聞いたことがある。あれらは数学的な努力の結晶なんだなと、改めて実感した。

 

8月16日(水) パスカルの賭け

 

哲学的な問いの一つに、パスカルの賭け」というものがある。難解というか自分なりに咀嚼するには時間が無かったので、これは紹介に留めておく。

www.nagasaki-gaigo.ac.jp

 

上手く言えないのだが、この問いから僕は、どっちにしろトクか、手を出さない方が損という風に自分を納得させれば、どんな選択も採れるという、そういう発想を感じた。

 

例えば酒をしばらく止めるべきか否かという賭け?を、今飲めば今幸せだけど、未来の健康をごっそり失うと解釈すれば、止める方が明らかに合理的だとよくわかる。

 

そう考えれば、嫌なことも、相対的にもっと嫌なシチュエーションや未来を持ち出せば、案外サクッと打ち消せるのではないか。

 

期待を捨てる方法の一端にもなっている気がする。だが原典をしっかり読んでいないので、明日もまたパスカルの賭けについては思い巡らせてみようっと。

 

8月17日(木) 知の巨人

 

著者が好きな科学者(数学者)は、ニュートンなのだという。知らないことを理解するために新しい道具を作り出すような発想に、強く背中を押されるからだそうだ。

 

そしてここで言う道具は、実際に手に取れるものではない。新たな数学の分野だ。ライプニッツとどうこう言われるが、微積分学の創始者たる存在だといえる。

 

しかもそれを考え付いたときは、当時大流行していた疫病から逃れるため、ある種の隠遁生活を送っていた最中だったそうだ。

 

「孤独な時間の集積が新たな着想を生む」という考え方、ワイルズに通じるものもある。独りの時間、やはりもっと慈しむべきかなと、改めて思わされた。

 

8月18日(金) 0/0

 

ニュートンが切り開いた微積分学によって、科学者たちは動的な世界を数学的に説明できるようになったそうだ。

 

古代ギリシャで発達した数学は、いわば静的な世界を対象としたものであり、動き回る事物を対象とすることは無かったのだ。(それこそ円とか数式そのものとか)

 

言われてみれば、物理学の意味不明な計算式を見ていると、そこにはよく微積分の記号が登場していることだけはわかる。

 

尚、微積分学の考え方を用いれば、究極0を0で割ることも可能らしく、それこそがサイコロのカオスな動きを説明することにも繋がるらしいが、僕にはサッパリであった。

 

8月19日(土) 挙動の数学

 

物体と運動の関係。究極的に言えば「みはじ」のことかと思っていたが、さすがにそこまでシンプル極まりない話でもないらしい。

 

とはいえ、ニュートンが法則として挙げたのは3つであり、それぞれをよく見てみると、中学の物理で習ったことそのもので驚いた。

global.yamaha-motor.com

 

慣性の法則運動方程式、作用反作用。それぞれが自分にとって無味乾燥かつ理解困難で好きになれなかった単元ではある。今もそうだけど。

 

しかし究極、これに当てはめて考えれば、あらゆる動きを予測することができるという規模のスケールと、それを追い求めた先人の努力にはロマンを感じる

 

単元そのものは好きになれずとも、そこにまつわるストーリーなら好きになれる。学校教育を終えた今、僕はそっちの方が性に合っていると納得している次第である。

 

8月20日(日) 世界は精巧な歯車である


ニュートンが開拓した、物理と数学の密接な繋がり。それまでは神の御業だった自然界の法則も、数学を使って理論立てて、観測を通じて確認することに置き換わった

 

このことを素晴らしく端的に、かつわかり易く表現したのが、「世界は精巧な歯車である」というフレーズだと思う。

 

自然は法則に基づいている。天体の動きも風の強さも、全ては方程式で書き表すことが可能であり、それができないのは、単に探求が足りないだけ。

 

楽観なのか暴論なのかわからない思考だが、とはいえこの考え方が1900年前半くらいまで、物理と数学を虜にしていたとみて間違いなさそうである。

 

しかしそれらを踏まえても、僕らはサイコロ1つの動きさえ、予測することができない。過去を積み上げても未来を読み解くことができない。

 

神の御業は存在し、それはカオスの領域にあるのではないか。数学の深淵にして、一番の闇に、これから話が続くのかもしれない。

 

余談だが、物理法則を説明する方程式は極めて難解であり、実はミレニアム懸賞問題の1つになっているものさえ存在する。

ja.wikipedia.org

 

十分な時間さえ計算は可能だ。そう思う人も多いだろうが、その十分な時間が何百年・何千年である可能性もまた、否定できないのである。

 

―ということで今日はこの辺で。

 

 

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