普段はメガネなのですが、コンタクトに本当になんとなく切り替えたところ、まだ3人にしか気付かれていない中元です。
はい。今日は愚痴1割、自戒9割で、ちょっと記事を書く。皆様は、「働く」という言葉の語源について、聞いたり考えたりしたことはあるだろうか。
僕自身は、「傍(はた)を楽にする」という語源が嫌いではない。人間社会を円滑に回す基本理念であり、これはすごくその通りだと考えているほどだ。
すごく初歩的な例だが、掃除が下手で料理が上手な人と、掃除が上手で料理が下手な人が結婚したら、得意なことをお互いにやってあげれば、多分上手くいくのと同じだ。
だからこそ、この考え方を大事だと”思う”のは悪くないことだと思う。本当にそう思う。しかし、だ。
これを人に押し付けることには慎重派だし、むしろ、してはいけないと考えている。
今日はそんなお話だ。
労働力フリーライダーなる存在。
調べてみてちょっと驚いたのだが、会社や別の労働力にタダ乗りする人を指す言葉は、既に存在していた。それが、【フリーライダー社員】だ。
元々フリーライドとは経済学の用語で、本来は払わなければならない対価を払わず、利益だけちゃっかり得ていくことを指す。(それそのものが良いか悪いかはまた別の議論)
例えば割り勘には参加せずにおごってもらうとか、別の人がお金を出し合って買ったアイテムを、ちゃっかり便乗して使っているとか、そういうのが一例とされる。
当然だが、こういう人が高く評価されることは無く、大抵はまずその個人にネガティブな感情が向けられ、放置すれば組織全体に悪影響が蔓延していくという感じだ。
「あいつ仕事してないじゃん」からスタートし、「仕事しないあいつがクビにならないこの会社って・・」という風に展開していくように。目も当てられない惨劇である。
さて。このフリーライド的思考と、「はたをらくにする」という美徳は、悲しいかな、ネガティブな意味で、とても相性が良いと僕は考えている。
どういうことか、一旦、「はたをらくにする」の観点から考えてみよう。例えば僕が、Aさんという人の仕事を肩代わりしたとする。
この場合、僕は僕の労働力と時間、体力を提供し、Aさんのそれらを残してあげた、という状態である。ではこの場合、Aさんには何が求められるのか。
そうやって浮いた資本を用いて、Aさんは出すべき成果を出すために仕事をすることが求められていると僕は考えているのだが、どうだろう。
もちろんAさんが過労気味で、休むことがマストという例外もあるのだが、助け合いとはよく考えたら、お互いがお互いを助けるという意味である。
例えば僕が働いた分で生んだ資本を丸ごと、サボることに回されたら、これはもはやフリーライドである。どの職場でも見られる、あの光景になってしまうのだ。
こうなると、まず個人への不満から始まり、そして組織へのそれに拡大する可能性があることは、さっきも書いた。フリーライダーだらけの会社とか、ちょっとヤバすぎだ。
・・・ということで、「はたをらくにする」という心構えを人に押し付けた際の、最悪のケースを紹介してみた。
もちろん社長がバリバリ陣頭指揮を執って働きまくったせいで、従業員も休みに休めず過労・労災を請求された例もあるにはあるが・・それもまた極端だろう。
自分が己の矜持として、その心構えをもって仕事をするのはいい。僕もそれには賛同だ。だがそこにタダ乗りしている場合は、確実に心理的な負債が溜まっている。
―そして、だ。わかりやすい例に対し愚痴を言うのも勝手だが、同時に裏で自分がそう思われているリスクにも、意識を配らなければならない。
続いては、「はたかららくにしてもらった」側になったとき、僕が気にしていることを紹介してみようと思う。
求められる仕事をする、創る、吸い上げる。
「はたかららくにしてもらった」側とは、要するに何かしらの管理職やリーダーであることが大半だろう。(あるいは体育会系で言う先輩ポジ)
となれば、作ってもらった時間で僕がするべきことは、リーダーとしてやらなければならない仕事なのは自明である。ただ、具体的にそれが何なのかは、意外と難しい。
その答えが知りたくて、たくさんの本を読んだし、動画も観たし、自分なりに色々試したりもした。やはりまだまだ抽象論だが、少しずつ輪郭は見えてきている。
抽象的に言えば、僕の今の仕事は、現場の声の吸い上げと、それを基に仕事を創ることだと考えている。
具体的に言えば、問い合わせを狙って獲って、ガンガン非常勤に授業を持たせることに尽きる。そしてシステム面の意見が出たら、全力で改善・調整を入れていく。
どこかで書いたが、利益を生む施策を考えられないリーダーはマジクソという通達を、僕は日々自分に向け続けている。暇な時間がある度、本気でソワソワしてくるほどだ。
そして我ながら、それは不十分だという感覚が強い。もっとコマを生んであげたいし、そのためにできることは山積しているのは間違いないのだが・・・という具合。
文句を言うからには、言われる覚悟を。マゾな話だが、答えが出るまで考えたいし、もしそれが出ても、即刻手放してまた考え続けたい。
終わりに。
僕が子供の頃はその風潮は無かったのだが、勉強を必死で頑張ると、社会に出てからラクができるというモチベで頑張ってきた世代があるらしい。
その価値観にゴリゴリに固まっている人からすれば、フリーライドではなく、こんなのは当然の権利なのだろうと思う。ここにギャップがあるのでは、と。
となれば、悪だとわかってて行動している人などいないことになる。哲学的だが、皆己の善に従っているだけなのだ。
だから僕は、人が変わることには期待していない。僕はこれからも、あちこちからフリーライドされ続けるのだろう。だがそれももう、どうでもいい。
僕は「はたをらくにする」つもりで仕事をするが、「はたかららくにしてもらいたい」という甘えは持たないようにしたい。
秀吉の逸話じゃないが、まずは一人で全力を出すことが始まりなのだと、やっぱり思う。反面教師みたいだが、また一つ真理を学んだ気がする。
ってことで今日はこの辺で。